【コラム】「ノーベル文学賞候補」高銀と村上春樹の違い

 日本の小説家・村上春樹も似たような立場に置かれている。日本を代表し、毎年のようにノーベル文学賞の最有力候補に挙げられ、自国民の絶対的関心を集めながら毎年落選している。ただ、高銀の事情と異なる点があるとすれば、自分の国だけでも数百万冊の本が売れているという点だ。2013年の近著『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の発売当時、書店の前で長蛇の列をつくっていた日本人の姿を覚えている。発売からわずか1週間で発行部数100万冊を突破する国。ノーベル文学賞が国の文学的な地位を象徴するとすれば、作家だけでなくその国の国民もノーベル賞受賞に対して一定の取り分と責任がある。そう考えると日本人は村上春樹とノーベル賞に対してあれこれ言う資格があるといえるだろう。

 今年1月、米国の文学評論家、マイティリ・ラオ氏は米国の時事文芸誌ニューヨーカーに寄稿したコラムで、韓国のノーベル文学賞受賞の可能性について悲観的な見方を示した。内容はこうだ。「ソウルで最も大きな書店は『人は本を作り、本は人を作る』というスローガンを掲げている。識字率は98%に達する。出版社は毎年4万冊の新刊を発売する。ただ、2005年に経済規模上位30か国を対象に行った調査で、韓国の1人当たりの読書時間は調査対象国の中で最も短かった。詩人の高銀氏は毎年ノーベル文学賞候補に名前が挙がるが、実際には高銀氏の詩は韓国であまり読まれていない」。韓国統計庁が今年4月に発表した「韓国人の生活時間の変化像」によると、平日の読書時間は1999年の9分から2014年には6分へと減少した。

チョン・サンヒョク文学部記者
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