■韓国政府は保存の方針、一部では批判も
日本が朝鮮の文化財に残した文字記録の大半は、1945年の光復(植民地支配からの解放)後に損傷したか、またはこれまで放置されていた。慶尚南道・統営の住民らは2004年、文化洞配水施設(登録文化財第150号)に刻まれた、斎藤総督が残したと推定される「天禄永昌」(天からの恵みが長く続くとの意味で、天皇をたたえる言葉)との文字をセメントで覆い隠した。
日本が建設したソウル市庁の定礎石も、行方知れずになっている。ソウル市の関係者は「庁舎着工を伝える1925年の新聞記事に写真で掲載された定礎石を探そうと手を尽くしたが、見つからなかった。日本が残した定礎石や文字記録は、解放後に大半が損傷したようだ」と話している。
全数調査が実施されたのは1945年以来、初めて。文化財庁は日本が残した記録を保存する方針だが、一部では「誇らしくもない歴史をあえて伝えていく必要があるのか」と批判的な声も出ている。これに対し、京畿大学建築大学院のアン・チャンモ教授は「恥ずかしい過去だからと隠すより、『ネガティブ・ヘリテイジ』(負の遺産)として保存することで『二度と繰り返さないようにしよう』という教訓を(後世に)与えるべきだ」と指摘する。ソウル市も、日本が残した定礎石の由来と内容、歴史的教訓などを記した案内板や解説資料を作成し、教育に活用する方針だ。