「三・一運動後、最初の音楽の授業の時、日本人の先生が歌を歌わせようとしたら、誰も声を出さなかった。先生が『なぜ歌わないんだ』と聞くと、1人の生徒が『あなたの国の天皇が死んだ時は歌舞を禁じながら、私たちの王様が亡くなったのに歌を歌えと言うのですか!』と怒鳴った」
1989年までに日王を日王と書いた朝鮮日報の記事は4件だけだった。あとは天皇と書いていた。東亜日報も京郷新聞も同じだ。ハンギョレも創刊初期は天皇と書いていた。1988-89年を基点に、マスコミと国民は日王表記に変わった。日本の教科書の歴史歪曲(わいきょく)問題(86年)や在日韓国人指紋押なつ事件(89年)が相次ぎ、89年に昭和天皇が息を引き取ったことから戦争責任問題が浮き彫りになったころだ。
政府は明確な見解もないまま、どちらを使用するかあいまいになっていたが、98年に朴智元(パク・チウォン)大統領府報道官が線引きをした。「相手国の呼称をそのまま使うのが外交慣例だ。政府は天皇と呼ぶ」。その後、金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)両大統領が日王に会った時、2人とも相手を「天皇陛下」と呼んだ。2016年の外交部(省に相当)文書も天皇と書いている。
日王を日王と呼んだからと言って、韓国人が強くなるわけではない。日王を天皇と呼んだからと言って、韓国人が低くなるわけではないのと同じだ。
ちなみに、米国では「エンペラー(emperor)」、中国では「天皇」、台湾では「天皇・日王」の両方を使う。太平洋戦争時に焼け野原となったベトナムの外交官は「昔のことは分からないが、今は政府もマスコミも『ニャブアニャットバーン(日本皇帝)』と言う」と言った。マレーシアの外交官は「マレーシアでも『マハラジャ・ジュポン』と言う。『マハラジャ』は皇帝、『ジュポン』は日本だ。タイは王だからそのまま『ラジャ(王)』だ」