紅山文化が黄帝のものであることを立証するため、女神廟から出土した野生動物の塑像の中にクマがいると主張している。紅山文化の代表的な玉器たる「獣形ケツ飾(ケツは玉偏に夬)」で飾られた野生動物がクマだともいう。クマを強調する理由は、黄帝の国が「有熊氏」だという伝承が『史記』にあるからだ。だが、仮にそうだとしても、女神廟の野生動物がクマなのかそうでないのか、立証できるすべはない。玉器で飾られた野生動物も、当初はイノシシだといわれていた。
黄帝は神話上の人物であって、戦国時代になって歴史的な人物に変わった。黄帝の歴史的性質を強調するため、黄帝が炎帝・蚩尤と戦ったという阪泉・タク鹿が河北省張家口市にあることを強調する。ここは、紅山文化と仰韶文化が交差分布する地域だ。黄帝がここで南方を代表する炎帝・蚩尤と戦ったとする伝承が、事実であることを立証しているかのようだ。しかし黄帝の墓は陝西省延安にあり、都邑(とゆう)は現在の河南省新鄭市にあったという。神話の空間は、実在の空間ではない。
クマを強調している点は、「紅山文化が古朝鮮のもの」という主張を展開している韓国人にとっても魅力的だ。檀君神話の熊女を連想させるのだ。しかし、古朝鮮の実体が確認されるのは紀元前1000年ごろのことで、その領域を遼西・遼東まで含む広い地域に余裕を持って設定しても、この時空間の範囲に紅山文化との継承関係を立証し得る遺跡・遺物を見いだすことはできない。従って、紅山文化が古朝鮮とつながるものだとする主張も、成立は困難だ。