【コラム】親日派問題、韓国人同士でいがみ合う悲劇

敵は外にいる

 安俊生による1939年の謝罪は、朝鮮総督府の役人が同行したと考えると「演出されたショー」だったのは明らかだ。従ってわれわれは安俊生ではなく、彼を脅迫した朝鮮総督府を糾弾すべきだったのだ。しかし、われわれは加害者の前で被害者同士が争うという道を選び、その被害者を殺そうとまでした。日帝は安俊生の謝罪を大々的に報道することで、この争いをあおった。一方、中国はそうすることはできなかった。台湾の人々の反応を見守った末、事態を早急に収拾する道を選んだ。

 最近、ソウル市教育庁(教育委員会に相当)が親日人名辞典を市内の学校に一方的に配布した。ソウル市庁の図書館に行き、3冊からなる分厚い名簿を読んでみた。4390人にも上る親日の人物のリストを子どもたちが目にすれば、民族的な侮蔑感を感じるだろう。そう考えると残酷な気がした。

 または「親日だったのは事実ではないのでは?」と深く考えるだろう。果たしてそう言うことはできるだろうか。親日人名辞典の収録対象には「毎日新報・満鮮日報など(朝鮮総督府の)国策機関紙の局長級以上と、論説部長、論説委員」が含まれている。このうち毎日新報は民族紙だったが、庚戌(こうじゅつ)国恥(日本による韓国併合)以降、一夜にして朝鮮総督府の機関紙になるという悲運を味わった。同紙の記者の多くはその後、親日の記事を書いた。

 しかし、1918年12月8日から12日まで5回にわたって同紙に掲載されたシリーズを読むと、考えが変わってくる。当時、日帝は英親王と李方子の結婚を機に「日本と朝鮮は一つ」と宣伝するよう毎日新報に指示した。記者たちはその指示に従った。しかし記者たちは「朝鮮人たちは日本の女と結婚し、順調に暮らした」と書いたにとどまらず「子どもたちも日本語しかしゃべらず、日本人として生きていく」という事実も報じた。これは親日の証拠なのか、抗日の証拠なのか。植民地支配下の朝鮮人たちはこの記事を読んで憤る一方、抗日精神を鼓舞するという本心を行間に込めた記者の意図を見抜いてほほ笑んだ。親日人名辞典にはこのような陰での奮闘が反映されていない。歴史の加害者の前でわれわれ被害者同士がかみ付き合うという悲劇は、もうおしまいにすべきだ。

世論読者部=金泰勲(キム・テフン)部長
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