戸塚氏は「小柴の一番弟子」の言葉通り恩師の研究を引き継ぎ、これをさらに進化・発展させた。小柴氏がノーベル賞を贈られる理由となった大きな成果は、陽子崩壊現象観測装置「カミオカンデ」を作ったことだったが、戸塚氏は後輩の梶田氏と共にカミオカンデを改善した「スーパーカミオカンデ」を完成させた。スーパーカミオカンデは2001年末の破損事故で研究中断のピンチに陥ったが、これを解決したのも戸塚氏だった。戸塚氏は当時、がんと診断された直後だったのにもかかわらず、先頭に立って問題解決に全力を注いだ。周囲の人々は同氏を止めようとしたが、「これまでやってきた研究を無駄にはできない」と修復にこだわった。そのおかげで予想よりも早く実験が再開され、それから13年たった今年、後輩の梶田氏にノーベル賞が贈られた。カミオカンデ研究構想から40年余りを経てのことだ。
師が最初に土壌を整え、弟子が花を咲かせるケースもある。名古屋大学教授だった坂田昌一(1911-70年)は湯川の「中間子理論」を修正し、問題点解決へとつなげた優れた物理学者だったが、自身はノーベル賞を取れなかった。しかし、その研究を引き継いだ弟子2人がノーベル賞を受賞したことで実を結んだ。異端児扱いされている昨年のノーベル物理学賞受賞者で、米カリフォルニア大学サンタバーバラ校の中村修二教授も、「研究の持続性」を守る日本科学界の風土と無縁ではない。中村氏は先輩研究者たちが40年間にわたり重ねてきた青色発光ダイオード(LED)研究をもとに、これを商用化させたに過ぎない。
直接の師弟関係はなくても、先達の精神を受け継いだ例もある。今年のノーベル医学生理学賞を受賞した北里大学の大村智特別栄誉教授は、日本の微生物学者・北里柴三郎(1853-1931年)の名を冠した北里大学に在職している。北里は1901年、第1回ノーベル医学生理学賞の公式候補に選ばれ、日本の研究者たちの鑑(かがみ)となった人物だが、結局受賞はかなわなかった。大村氏は受賞の感想で「(北里のように)私も微生物が(世の中の)何かに役立つのではないかと考えた」と述べ、その精神をたたえた。