韓日のこうした泥仕合は決して国益のためにならない、という事実を知らない人間はいない。現政権が対日強硬論を最も強く叫んでいたまさにその瞬間も、このアプローチが成功するだろうと信じていた外交官や専門家を見たことはなかった。にもかかわらず対日外交は、「安倍首相の暴走」と歩調を合わせ、「排日」レベルにまで至った。1987年の民主化後、政権が変わるたび、任期の最初は「韓日の新たな協力時代が開かれた」というような浮かれ方をするのに、後半になると「日本の行儀の悪さを正す」と熱を上げることを繰り返してきた。朴槿恵政権は、最初日本との衝突で始まり、途中で方向を変えた最初のケースだ。このように冷・温の極端を行き来する対日外交は成功し得ないというのが、これまでの韓日関係の経験を通して得られた教訓だ。にもかかわらず、現政権がまたしても「予告された失敗」の道へと突っ走ったのは、ミステリーとしか言えない。韓日関係の始まりと終わりを大統領の任期と同一視する傲慢(ごうまん)や錯覚、そして対日外交にかかる国益を説明して大衆の理解を求めるよりも、「日本たたき」の方がはるかに容易で、政治的利益も大きいと感じられる限り、このどうしようもなく愚かなミステリーはいつでもよみがえるだろう。
日本近代産業施設の世界遺産登録は、当初の日本の構想通りには進めにくくなった。しかしこれを、現政権の外交上の成果だとは評価しがたい。現政権の最大の失策は、韓日外交そのものを閉ざしたことだ。「ユネスコの戦い」は、韓日外交不在の現実を再確認させたにすぎない。外交が本来の位置で正常に稼働していたら、韓日がこのように国際舞台で顔を真っ赤にすることは最小限に抑えられただろう。韓日関係正常化の前に、「外交の正常化」の方が急がれる。外交を、外交の論理に従うようにすることが、その出発点だ。