ところが、90年代に入ると興行成績が落ち込み、野心を持って制作した『黒水仙』(2001年)もヒットせず、いつしか人々から忘れ去られるようになった。09年に『旅行』を発表した後は情報も途絶えていたが、最近新たな作品のシナリオを書き上げ、制作者や投資家を求めていたという。90年代以来、ストーリーやキャラクターの誇張、歪曲(わいきょく)を拒否し、「スター俳優を使おう」という投資家の提案も拒否してきたペ監督は『情』(99年)や『道』(2004年)を独立映画(製作会社が大手映画配給会社を通さず、直接映画館に売り込んだ映画)として制作したが、観客に注目されることはなかった。
ペ監督は延世大学経営学科を卒業後、現代総合商社に入社したが、映画監督になる夢を捨て切れず退社し、映画の演出を手掛けた。2004年には建国大学映画学科の新設と同時に教授となったが、わずか4年で退職した。
最近、ペ監督と食事を共にしたことがあるという映画監督は「あまり話をしなかったが、制作者が見つからなかったからなのか、表情は暗かった」と話した。
一方、イ・チャンホ監督は「1カ月ほど前に会ったときでも、おかしな点は全くなかった。英国に留学し帰国した娘の話もして、終始明るく楽しそうな表情だった」と話した。