特攻隊員たちの多くは、天皇のために出撃したわけではなかった。「どうせ出口が見えないのなら死んでしまおう」と、諦めを背景に死を覚悟したのだった。心の奥底では「一体何のために死ぬのか」という苦悩があった。そんな神風特攻隊がなぜ今注目されているのか。大貫教授は「右傾化という言葉だけで全てを説明するのは困難だ」とした上で「日本の多くの国民が自信や理想を失ったことに原因がある」と指摘した。
「日本社会は豊かだが、エネルギーがない。何か仕事をしようという計画はあっても、何か価値を追求しようという理想はない。長期間の不況によって自信も失った。生きる目標を失った若者たちにとって零戦は『日本が強かった時代』の象徴であり、神風特攻隊は『個人の枠を越え、もっと大きな何かを追い求めた人たち』の象徴のように感じられる。このような象徴が存在するのは危険だ。『犠牲になることは美しい』と主張し、その裏で敵を悪魔のように見なし、弱者を抑圧するからだ」
日本社会にはこのような批判に共感する人たちが多い。日本アニメ界の巨匠として知られる宮崎駿監督(74)も2013年、零戦を開発した堀越二郎の青春時代を描いた『風立ちぬ』を制作した。だが、「永遠の0」は特攻隊員が青空に向かって飛んでいくシーンで終わるのに対し、宮崎監督は日本の敗戦や主人公の悔恨まで描いている。宮崎監督は日本メディアのインタビューで「百田氏は神話をでっち上げている」と主張した。日本で『風立ちぬ』に共感した人(売り上げ120億2000万円、2013年の興行収入1位)は、『永遠の0』に熱狂した人(同87億6000万円、14年の興行収入1位)よりも、現時点ではまだ多い。