終戦後の1946年、シンガポールで行われた日本に対する戦犯裁判を彼は傍聴した。当時の検事は開廷論告で次のように述べたという。「日本軍が犯した蛮行を調べてみると、果たして人間はどこまで悪になれるのか、またどれだけ堕落できるのかについてゾッとせざるを得ない。もしかしたら人間の尊厳を感じさせてくれるものがあるかもしれないと期待し、資料を調べに調べたが、結局見つけられなかった」
3年半にわたり日本軍占領時代を経験したリー・クアンユー氏は次のような感想も残した。
「日本軍の唯一の統治の手段は恐怖だった。彼らを憎んだが、弾圧とはどんなものかを知っていたので、彼らの意向に逆らわなかった。しかし、朝鮮人は日本が統治を始めた時から抵抗をやめなかった。朝鮮人の風習・文化・言語を抹殺しようとしたが、民族的自負心を持っていた朝鮮人は固い決意で野蛮な圧制者に抵抗した。こうしたケースはあまりなかった」
随分前に出された『リー・クアンユー回顧録-ザ・シンガポールストーリー』を再び手にしたのは、無力感からだ。仏教には「対機説法」というものがある。相手のレベルに合わせて教えるべきだという説法だ。ドイツのメルケル首相は日本に対し「常に自身の過去と向かい合わなければならない」と述べたが、この点で決定的な「ミス」を犯した。
日本のほとんどのメディアはメルケル首相の忠告を無視したり、数行の記事に挿入したりしただけだった。極右傾向の産経新聞は1日ほど間を置いた後、これに一つ一つ反論する記事を1ページ全面に掲載した。さらに「(日独)両国を単純に比較することは適当でない」「日本は『ホロコースト』のような犯罪はしていない(原文ママ)」と一蹴した日本の外相の言葉を解説した。
自分の立場から見れば、自分の悔しさだけが見える。しかし、相手や第三者の立場から自分自身を見ることができて初めて「大人」になるのだ。戦後70年になるというなら、日本も大人になる時が来たと言っていいだろう。
だが、安倍晋三首相は新年のあいさつで「戦時の日本を歪曲(わいきょく)する見解と闘う(原文ママ)」と刀を抜いた。皆が集団軍事教練をするかのように「歴史修正主義」路線に追随しているのだ。右翼が主流となっている日本の知識人社会はこれを鉄壁のごとく擁護している。こうした日本の動きを止める実際的な方法はあまりない。彼らの内部覚醒の力を除いては。