返還を認めない決定を出しながら、裁判所は一審で窃盗団に対し懲役3年から4年の実刑判決を出した。犯人たちには懲役刑を言い渡しながら、「盗品」は韓国が持っているのだ。
状況をもう一度整理してみよう。韓国の仏像が日本に渡った理由は「略奪」である可能性が最も高い。傍証(間接的な証拠)はあるが、これといった文書上の「証拠」はまだ見つかっていない。一方、韓国に今ある仏像が日本の寺から盗まれたものであることは間違いない。
目の前の真実と過去に対する推測のどちらを先に解決すべきか。文明と法治を信じるなら、盗んできた物は一度返して、あらためて取り戻すべきだろう。もちろん、そのプロセスは煩雑で労が多いはずだ。しかし、被害者も「正道」を守り、程度をわきまえて怒りを表さなければ尊重されない。
もちろん、急速な右傾化が進んでいる日本を見ると憤まんやるかたない。「向こうが非道な仕打ちをしているのに、なぜこっちは正道な振る舞いをしなければならないのか」と問い返すこともできるだろう。しかし、向こうが非道であればあるほど、私たちが品格を保つてば戦略的に利を得ることになる。
韓国だけでなく、ギリシャのように歴史は長いが力を失った国々の多くが文化財を奪われてきた。今回、米国で見つかった大韓帝国の国璽(こくじ)のように、明確な略奪の証拠がある場合は「文化財返還」が比較的容易だが、実際にはあいまいな事例の方が多い。こうした時は国連教育科学文化機関(ユネスコ)が仲裁に入ることもある。ユネスコは今年7月、英国にあるパルテノン神殿の壁(エルギンマーブル)をギリシャに返還する決定を下した。韓国の物を取り戻す過程においては「第三者の目」もカギだ。
約15万点に達する韓国の文化財が海外にあるという。このうち、返還されるべき物はかなり多いはずだ。重要なのは、どのくらい根気強く被害を証明するかにある。「自己主張ばかりの被害者」と「品格はあるが根気強い被害者」のどちらが国際社会の気持ちをつかめるかは言うまでもなく明白だ。