【コラム】韓国の「A級戦犯」たち(上)

 日本が太平洋戦争を起こしたことは、近現代史の謎の一つとされている。米国との戦力の差があまりにも大きく、生卵で岩を破壊しようと試みるようなものだったからだ。日本の軍部も、勝算が低いということは分かっていた。それにもかかわらず負け戦に突き進んだのは、まさに「集団的狂気」としか言いようがない。

 真珠湾攻撃によって太平洋戦争に突入する数カ月前の1941年夏。いわゆる「秋丸機関の報告書」が作成された。陸軍中佐の秋丸次朗が率いる研究班が1年半にわたって取り組んだ研究の成果だった。この研究班に与えられた課題は「米国・英国と戦争したら勝利できるか」というものだった。

 大掛かりなシミュレーションの末に導き出した結論は常識通りだった。日本の国力は米英両国の20分の1にすぎず、開戦から2年間は持ちこたえられても、それ以上戦い続けるのは困難で、とても勝てる戦争ではない、というわけだ。

 108ページの報告書は上部に報告された。ところが、陸軍参謀総長は「国策に反する」との理由で焼却を命じた。報告書はなかったことにされ、秘密裏に処分された。都合の悪いことには目を向けないという、自閉的な心理状態がその背景にあった。

 戦争を主導する上で中心的な役割を果たしたA級戦犯でさえ、敗戦は予想していた。昨年公開された法務省の内部文書には、こうした内容が赤裸々に記されていた。この文書は、海軍大臣をはじめとするA級戦犯12人が「戦争に突入したときから、明らかに勝算はなかった」と述懐した内容が記録されていた。負けることが分かっていながら開戦を強行した理由は、実にあきれるものだ。A級戦犯の一人は「戦運というものもある」と述べた。また「戦争をやめれば、陛下(昭和天皇)の廃位につながる恐れもあった」と語った人物もいた。

 こうした隠蔽(いんぺい)によって、一般の日本人は戦争に負けるということを予想もできなかった。日本は「神の国」だから、必ずや「神風」が吹く、と信じていた。しかし、その幻想は2発の原子爆弾によって崩れた。そのとき初めて、日本国民は「だまされた」と気付き、戦犯たちに対し怒りをあらわにした。

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