▲26日、慶尚北道盈徳郡盈徳邑石里で、住宅が山火事により全焼し、廃虚のようになった様子。写真=NEWSIS
60歳の息子は声を上げて泣くこともできなかった。
26日午後、慶尚北道盈徳郡の葬儀場に設けられたイさん(89)とクォンさん(86)夫婦の祭壇で会った息子(60)は「山火事発生を受けて他の人を助けに行き、自分の両親を救えなかった」と振り返り、涙を拭った。農業を営んでいたイさん夫婦は25日午後10時、避難命令を知って避難したが、山火事に巻き込まれた。息子は同日午後6時、災難に関するメッセージを携帯電..
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▲26日、慶尚北道盈徳郡盈徳邑石里で、住宅が山火事により全焼し、廃虚のようになった様子。写真=NEWSIS
60歳の息子は声を上げて泣くこともできなかった。
26日午後、慶尚北道盈徳郡の葬儀場に設けられたイさん(89)とクォンさん(86)夫婦の祭壇で会った息子(60)は「山火事発生を受けて他の人を助けに行き、自分の両親を救えなかった」と振り返り、涙を拭った。農業を営んでいたイさん夫婦は25日午後10時、避難命令を知って避難したが、山火事に巻き込まれた。息子は同日午後6時、災難に関するメッセージを携帯電話で受け取り、直ちに盈徳郡民運動場に駆けつけて避難する車の誘導などをした。トラック運転手をしていることから、この数年間、地元で交通誘導のボランティア活動をしていたためだ。
慶尚北道義城郡で発生した山火事が盈徳邑にまで広がってくると、「両親は無事だろうか」という不安が強くなってきた。しかし、息子の妻が午後10時ごろ、イさん夫婦の家に駆けつけた時は、炎が家全体をのみ込んだ後だった。イさん夫婦は家から約50メートル離れた近くの畑で死亡しているのが発見された。
息子は「90歳近いのに、父は山に登って木を背負い、バイクに乗って市場に行くほど元気だった」「親の遺言も聞けずに死なせてしまい、悔いが残る」とうなだれた。
慶尚北道義城郡から安東市・青松郡・盈徳郡・英陽郡などに広がった大規模な山火事により死亡した21人(ヘリコプター操縦士1人を除く)のうち、相当数が80代以上の高齢者だった。体が不自由だったり、介助が必要だったりした人々は炎を避けようとして住宅や道路などで死亡していたことが分かった。イさん夫婦のように山火事により死亡した人は盈徳郡で計8人に達する。その全員が80-100歳以上の高齢者だ。盈徳邑のある老人ホームでは、職員2人が介助の必要な入所者4人を保護し、車に一緒に乗って避難していたが、車に火の粉が飛んできて燃え移り、爆発した。職員2人がすぐに入所者1人を救助したが、残りの入所者3人は車の中で爆発に巻き込まれて死亡した。亡くなった入所者の家族たちは他の地域で働いていたり、用事などで外出していたりして、再び会うことがかなわなくなった。3人が死亡した青松郡でも、犠牲者は全員60-80代だった。死者が4人に増えた安東市臨河面などでも犠牲者はほとんどが住宅の庭で窒息した状態で発見された。発見者も避難していた地元住民たちだった。青松郡の自宅で死亡したイさん(79)は一人暮らしだった。パク・ヒョンラク里長(59)は「一人暮らしのイさんは骨粗しょう症で動けなかった。イさんを別の所に移そうと頑張ったが、できなかった。『死ぬにしても、自分の家で死ぬ』と言っていた。胸が痛む」と語った。
盈徳郡では、前日午後5時54分から隣の青松郡で発生した山火事が広がり、盈徳邑、知品面、丑山面、寧海面など約2万ヘクタール(約6050万坪)が焼けた。これは盈徳郡の全面積の27%に当たる。
英陽郡では、石保面葡山里の三宜渓谷でクォン里長(64)が、妻や義弟の妻と避難中に死亡したのが発見された。クォン里長ら3人は避難所方面ではなく、炎が襲った三宜里に向かったことが分かった。英陽郡の関係者は「クォン里長は、避難できていない住民たちがいないか確認しようとしたのではないかと思う」と話す。石保面花梅里でも火災となった住宅で60代女性の遺体が発見された。また、26日午前にも女性の遺体2体がさらに発見され、計6人が死亡したことが分かった。英陽郡では死者6人全員が焼死体で発見されたが、全員が山火事の犠牲者であることが確認された。
炎が広がった安東市は24の邑・面・洞のうち17の邑・面で住民4052人が避難した。同市で会った一直面光淵里の住民リュ・ギョンスクさん(74)は「倉庫として使っていたコンテナが全部焼けた。服を何着か持ってきただけだ」「家の電気や水道が断たれ、生活できない状況だ」と語った。
安東市では小学校の講堂や多目的体育館などを開放し、避難所を15-20カ所設けている。安東体育館にはテント150張りが設置され、約350人が避難していた。26日午前には避難所でボランティアたちが作ったわかめスープやキムチを被災者たちが受け取り、食べていた。安東市吉安面にある民俗文化財「墨渓書院」近くに、母親チョン・ブンホンさん(87)と一緒に50年以上暮らしていたというキムさん(53)は「山火事で家が全焼してしまった。補償してもらえるかどうか分からない」「車が渋滞し、ここまで(普段なら)家から5分の距離が2時間かかった。大混乱だった」と話した。
盈徳=カン・ジウン記者、英陽=ク・ドンワン記者、安東=キム・ナヨン記者、義城=イ・スンギュ記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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