▲忠清南道瑞山市の浮石寺金銅観世音菩薩座像。2025年1月24日撮影。
2012年に韓国の窃盗団が日本の対馬の観音寺から盗み出し韓国に密輸した高麗時代の金銅観音菩薩(ぼさつ)座像の所有権が今月24日に観音寺に移った。国家遺産庁と曹渓宗によると、観音寺の田中節孝前住職ら日本側の関係者が同日午前、仏像の保管されている大田国立文化遺産研究院を訪問し、仏像の所有権引き渡しを受け、仏像は直後に瑞山市内の浮石寺に運ばれた。その後仏像は100日間一般に公開され、5月中に日本に運び..
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▲忠清南道瑞山市の浮石寺金銅観世音菩薩座像。2025年1月24日撮影。
2012年に韓国の窃盗団が日本の対馬の観音寺から盗み出し韓国に密輸した高麗時代の金銅観音菩薩(ぼさつ)座像の所有権が今月24日に観音寺に移った。国家遺産庁と曹渓宗によると、観音寺の田中節孝前住職ら日本側の関係者が同日午前、仏像の保管されている大田国立文化遺産研究院を訪問し、仏像の所有権引き渡しを受け、仏像は直後に瑞山市内の浮石寺に運ばれた。その後仏像は100日間一般に公開され、5月中に日本に運び出される予定だ。これにより対馬の仏像を巡り13年続いた両国の対立はついに決着がついた。
■解決に13年かかった対馬仏像問題
韓国の窃盗団は2012年に対馬から2点の仏像を韓国に密輸した。1点は銅造如来立像でこれは韓国で所有権を主張する人物がいなかったため2015年7月に対馬の海島神社に返還された。しかし金銅観音菩薩座像は忠清南道瑞山市の浮石寺が「本来はわれわれの仏像なので返してほしい」と要求し所有権を巡る争いが始まった。浮石寺は仏像内部から「1330年高麗瑞州(瑞山)浮石寺でこの仏像が作られた」との記録が出たことを根拠に「倭寇(わこう)に略奪されたもので、本来の所有主である浮石寺に返還すべきだ」と主張し、一審の裁判では浮石寺の訴えが認められた。しかし二審では「700年前の高麗浮石寺と現在の浮石寺を同じ寺と考えることはできず、日本の観音寺は2012年に仏像が盗難されるまで一定期間にわたり問題なく占有した。そのため所有権を時効取得した」と判断した。大法院(最高裁判所に相当)も2023年10月「仏像が高麗時代に倭寇により略奪され日本に不法に持ち出された蓋然性だけでは、観音寺の仏像所有権時効取得が排除されるとは考えられない」として判決が確定した。
大法院判決後も返還問題は1年以上続いたが、先日双方の寺が合意し一気に解決に向かった。浮石寺は「返還前に仏像を設置し100日間法要させてほしい」と要請し、これを観音寺が「確実な返還」を条件に受け入れた。同日午前10時に双方の寺と国家遺産庁、日本の文化庁、曹渓宗関係者が出席して移運式が開かれ、仏像はその後浮石寺に移され100日間一般に公開される。曹渓宗の関係者によると、仏像は5月5日の『お釈迦(しゃか)様誕生日』の法要後、5月11日までに国立文化遺産研究院に移され、その後日本に運ばれる予定だという。
■韓日の文化遺産交流に大きな傷
対馬の仏像問題は韓国と日本の文化遺産交流に大きな傷を残し、中でも韓国の博物館が大きな影響を受けた。今年は韓日国交正常化60周年となることから、国立中央博物館は当初日本の天理大学に所蔵されている「夢遊桃源図」をはじめとして、日本に残る韓国の美術品を大量に借り受けて展示を行う予定だった。しかし日本側は「大法院で判決が確定した対馬の仏像も返還されないようでは、韓国に由来する国宝や重要文化財の貸与は難しい」との考えを示し、展示の実現は難しい状況だという。
長くこじれていた仏像返還問題が一気に解決に向かった背景には、韓日議員連盟会長の朱豪英(チュ・ホヨン)国会副議長の努力があったと伝えられている。朱豪英副議長室関係者は「国立中央博物館から『夢遊桃源図の貸与交渉が進まない』と聞き、この問題をこれ以上傍観するわけにはいかないと考え、双方の説得に力を尽くした」と明かした。複数の文化遺産専門家は「盗んできた仏像はもっと早く返還すべきだった。遅きに失したが対馬の仏像問題が解決したのは幸いだった」「足踏み状態にあった両国の文化遺産交流が再び順調に進むことを願っている」とコメントした。
許允僖(ホ・ユンヒ)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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