▲「ドラゴンボール」は、オリジナルバージョンが完結(1995年)した後も後続作品を通して世界観を拡大し、読者層・ファン層を広げてきた。/写真=11番街
「七つのドラゴンボールを集めて呪文を叫べば…神竜(シェンロン)が現れて、どんな願い事でも必ずかなえてくれるのだ」
2024年11月第3週の週末、ソウル・蚕室は、ドキドキするこの約束をまだ胸の奥に秘めた「大人たち」で混み合っていた。韓国初の「ドラゴンボール」ポップアップストアがロッテワールドモール1階に登場した。誕生から40周年になるからだ。グッズのほとんどが一瞬で売り切れになった。男気あるちびっこ..
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▲「ドラゴンボール」は、オリジナルバージョンが完結(1995年)した後も後続作品を通して世界観を拡大し、読者層・ファン層を広げてきた。/写真=11番街
「七つのドラゴンボールを集めて呪文を叫べば…神竜(シェンロン)が現れて、どんな願い事でも必ずかなえてくれるのだ」
2024年11月第3週の週末、ソウル・蚕室は、ドキドキするこの約束をまだ胸の奥に秘めた「大人たち」で混み合っていた。韓国初の「ドラゴンボール」ポップアップストアがロッテワールドモール1階に登場した。誕生から40周年になるからだ。グッズのほとんどが一瞬で売り切れになった。男気あるちびっこの孫悟空が仲間たちとドラゴンボールを探しに出かける、成長漫画の定石。販売部数は既に3億部を突破し、ゲーム・映画などにアレンジされ、世界で30兆ウォン(現在のレートで約3兆2000億円。以下同じ)相当の売り上げを記録している不朽の名作。この日、実物を再現した「ドラゴンボール」天下一武道会の会場前で「エネルギー波(かめはめ波)」を叫びながら、老若男女が両手を力いっぱい前に突き出したわけはここにある。
韓国最大のファンコミュニティー「フォーエバー・ドラゴンボール」を運営するソ・ビョンフンさん(42)も、この場にいた。「父に初めてプレゼントされたコミックでした。内気な子どもだったんです。でも友だちと一緒に集まってページをめくりながら交流できました。子どものころ好きだったものは、消えてしまったり忘れられたりするものですが、今も残っていてくれて感謝の思いです」。ちょうど、2024年は「青い竜」を意味する甲辰(きのえたつ)の年。不惑の年を迎えても「ドラゴンボール」は堅調だ。2024年に登場したコラボ商品を見るだけでも、それが分かる。「ドラゴンボール・アイスクリーム」(バスキン・ロビンス)、「ドラゴンボール・キーボード」(ロジテック)、「ドラゴンボール・スナック」(ロッテマート)、「ドラゴンボール・パン」(SPC三立)…。登場するなり、ファンが押し寄せる。伝説は終わっていなかった。
■傑作の誕生、ジャッキー・チェンの映画「酔拳」のおかげ?
「元気玉」という単語を聞いたことはおありだろうか。地球の全ての生命に縁を頼って力をもらい、巨大なエネルギーの塊を形成する「必殺技」。「“気”を集める」(トイレでもしばしば必要になる)だとか「精神と時の部屋」(試験期間になるたび切に欲しくなっていた場所)といった表現も、もはや聞き慣れたものだ。出典はどれも「ドラゴンボール」。怒ると体から神秘的な炎が立ち上り、空を飛び回り、瞬間移動や、都市一つくらい軽く吹き飛ばしてしまう掌風(かめはめ波)まで…でたらめ放題ではあるが、その後のあらゆる格闘漫画の礎石となった面白さの要素だ。
それにしても、なぜ孫悟空なのか? 中国の古典『西遊記』からモチーフを得た。服飾に至るまで全て中国風だ。平素からブルース・リーの『燃えよドラゴン』など香港映画を好んでいた漫画家・鳥山明。「ジャッキー・チェンの映画が特に好きで、仕事をしている間も、何度もビデオを見たりしていました。担当の編集者になにげなく『それならカンフー漫画を描いてみれば』と言われて、軽い気持ちで描いたのが『騎竜少年』という漫画でした」。悪くない反応を得たことで、長編へと発展させて世に出した。1984年11月20日のことだった。
序盤は全くぱっとしない反応だった。打ち切りの危機にまで追い込まれた。担当編集者が勝負手を打った。強力な悪党を作って対決の構図を形成しよう、という提案。そこで「天下一武道会」が開かれた。強化されたアクションに、読者は熱狂した。作家特有の活発な展開が人気の炎に油を注いだ。「ジャッキー・チェンの映画の、戦いのリズムのようなものも参考になったように思います」。1986年にはテレビアニメの放映が始まった。11年におよぶ長期連載の土台が整ったのだ。アニメ作品・ゲーム作品などにじわじわとアレンジされ続け、2009年には香港の俳優チョウ・ユンファ、韓国の歌手パク・チュンヒョンなどが出演する実写映画まで封切りされた。後日、脚本家が「原作を失墜させた」と謝罪する羽目になりはしたが。
■韓国漫画界は大騒ぎになった
「ドラゴンボール」は、韓国で正式出版された初の日本漫画だ。1989年12月14日付の漫画雑誌『I.Q. Jump』別冊付録に初めて掲載された。冒頭に載った出版社の紹介はこうだ。「今から皆さんは世界レベルの読者です! 『ドラゴンボール』は米国・フランス・イアリア・西ドイツ・日本などで漫画化・アニメ映画化され、子どもたちの爆発的な人気を集めた世界名作漫画です」。なるほど世界名作漫画。既に正式輸入前から「ドラゴンボール」は韓国国内を騒然とさせていた。『ドラゴンの秘密』などのタイトルで海賊版が出回り、わずか数カ月で数十億ウォン(10億ウォン=約1億800万円)を稼いだ…といううわさが横行した。
『I.Q. Jump』の当時の編集長ファン・ギョンテさん(67)=コウン文化社代表取締役=は語る。「日本ですか? 韓国を『海賊版の国』とみて信頼してませんでしたね。それで、市場を正常化してこそ今後の可能性があると判断しました」。当然、反応は爆発的だった。「売国奴とも言われました。作家らの反発がひどかったです。国産漫画が全て死んでしまうと。それでも、強い作品とぶつかって競争してこそ韓国も強くなるのではないですか?」。対抗馬として韓国伝統のキャラクターが登場することもあった。95年に女優ユン・ソクファは自ら映画会社を立ち上げ、『帰ってきた英雄・洪吉童(ホン・ギルトン)』を製作した。「『ドラゴンボール』や『ディズニー』漫画のように、韓国の子どもたちに夢を育んでやれる主人公像を植え付けてやりたい」という抱負。驚くべきことに、『ドラゴンボール』の演出陣が合流した韓日合作だった。
(後編)に続く。
チョン・サンヒョク記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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