▲10月9日から開放が始まった宗廟(そうびょう)北神門。写真は10月19日、北神門を訪れた市民が門を通って宗廟や昌慶宮を見て回ったり、門の前で記念写真を撮ったりしている様子。/金泰勲記者
朝鮮王朝時代に「東闕(けつ)」と呼ばれていた昌慶宮と昌徳宮は、もともと塀一つ隔てただけで宗廟と隣り合っていた。1932年に日帝がこの塀を取り壊し、昌慶宮と宗廟の間に道路(現在の栗谷路)を通した。総督府は、交通の便を良くするためだと言ったが、宮殿を壊して植民地朝鮮人の誇りを傷つけようというのが本心だった。そういう意味から、昌慶宮と宗廟を再び連結する復元事業は、植民残滓(ざんし)を振り払って文化・経..
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▲10月9日から開放が始まった宗廟(そうびょう)北神門。写真は10月19日、北神門を訪れた市民が門を通って宗廟や昌慶宮を見て回ったり、門の前で記念写真を撮ったりしている様子。/金泰勲記者
朝鮮王朝時代に「東闕(けつ)」と呼ばれていた昌慶宮と昌徳宮は、もともと塀一つ隔てただけで宗廟と隣り合っていた。1932年に日帝がこの塀を取り壊し、昌慶宮と宗廟の間に道路(現在の栗谷路)を通した。総督府は、交通の便を良くするためだと言ったが、宮殿を壊して植民地朝鮮人の誇りを傷つけようというのが本心だった。そういう意味から、昌慶宮と宗廟を再び連結する復元事業は、植民残滓(ざんし)を振り払って文化・経済大国へと跳躍する韓国が当然やるべきことだった。ソウル市が2010年にその第一歩を踏み出した。栗谷路を地下道化してその上に再び塀を作った。塀沿いに、徳寿宮の石垣の道(トルダムキル)と同じ散策路も造成した。
12年かかったこの事業の画竜点睛は、国王が東闕と宗廟を行き来する際に通過していた北神門の復元だった。ところが、せっかく復元したこの門は、残念なことに過去2年間閉ざされていた。復元のニュースを聞いて現場を訪れた市民は「東闕と宗廟が連結されたというから来たのに門を通れないのだから、だまされた気分」とあきれていた。筆者も当時の文化財庁(現在の国家遺産庁)に「北神門を市民に返してこそ、復元の趣旨が生かされる」と何度も建議した。昨年から国家遺産庁が変化の動きを見せ始めた。「北神門開放を推進している」とし「昌慶宮側の入り口が険しくて事故の危険があるので、スロープを作った後に開放したい」と約束した。全ての準備プロセスを終え、10月9日の「ハングルの日」に合わせて遂に北神門が開かれた。
10月19日の土曜日、市民の反応が気になって現場へ行ってみた。時折立ち寄るたび、ひっそりしていて残念に思っていたのだが、かつて本当にそんな場所だったかと思う程、訪問客でにぎわっていた。散策路では市民が行き来し、韓服(韓国の伝統衣装)姿の外国人も門の前で記念撮影をしていた。ある中年夫婦は「以前もときどき来ていて、よく知っている場所だが、門が一つ開いただけで雰囲気が一変した」と喜んでいた。門の前で案内をしていた国家遺産庁の職員も、上気した表情で「午前中だけで数百人が門を通過し、昌慶宮と宗廟を行き来した」と語った。国家遺産庁に確認してみると、「ハングルの日」から10月13日の日曜までの5日間で6000人以上が北神門を訪れた。その次の週末にもおよそ2800人が門に立ち寄った。国家遺産庁側は「昌慶宮と宗廟を訪れる全訪問客の10%が北神門の通路を利用した」とし「これほど多くの市民が訪れるとは思わなかった」とコメントした。
一部では、滅んだ王朝の愚かな過去をなぜカネをかけてよみがえらせるのか、と言う。そんな人々は、文化遺産が単なる過去の痕跡ではなく、われわれのこんにちの姿を照らし出す鏡であることを見逃している。豊かに暮らしながら、祖先が残してくれた遺産を放置する国はない。逆に国の具合が悪いと、輝かしい過去も捨てられて光を失う。第2次大戦当時、弱小国だったポーランドはナチス・ドイツに徹底して破壊された。首都ワルシャワの美しい王宮も廃虚となった。戦争が終わった後、ポーランドは長い復元の努力の末に、王宮のかつての姿をよみがえらせた。東欧の富国へと飛躍した国力がそれを可能にした。現在では、ポーランド人は伝統と現代がよく調和したワルシャワを誇りに思っている。
北神門を訪れる市民を見ながら、遺跡復元の真の意味を考えてみた。かつて、遺跡や遺物は遠くにあって、目で見るだけの存在だった。しかし最近の大勢は、国民が立ち寄り、感じて体験する方式へと変わりつつある。北神門の開放は、その流れを反映した文化行政だ。ただし、公休日や「文化がある日」(毎月最終水曜日)にのみ開放するというのは惜しい。いつ訪れても常に門が開いていて、迎え入れられるようにすべきだ。北神門は小さな門だ。だが、日帝は決意を込めてその小さな門を壊し、われわれはその門をついによみがえらせた。国民の元に戻ってきた北神門を通過するとき、植民と戦争・貧困から立ち直った奇跡の韓国現代史が体に入ってくるかのようだった。
金泰勲(キム・テフン)論説委員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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