▲2017年8月23日午前、京畿道高陽市碧蹄の韓国軍奉安所で行われた故・実尾島部隊員合同奉安式。写真=news 1
いわゆる「実尾島事件」に関して、韓国国防部(省に相当)長官が53年を経て初めて謝罪することが分かった。韓国軍当局は、当時死刑に処され、埋葬された実尾島部隊員の遺骨発掘も推進することを決めた。国防部が4日に明らかにした。
国防部によると、今年9-10月に予定されている実尾島部隊員4人の遺体発掘開土祭で、国防部軍人権改善推進団長が申源湜(シン・ウォンシク)長官の謝罪文を代読する予定だとのことだ。
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▲2017年8月23日午前、京畿道高陽市碧蹄の韓国軍奉安所で行われた故・実尾島部隊員合同奉安式。写真=news 1
いわゆる「実尾島事件」に関して、韓国国防部(省に相当)長官が53年を経て初めて謝罪することが分かった。韓国軍当局は、当時死刑に処され、埋葬された実尾島部隊員の遺骨発掘も推進することを決めた。国防部が4日に明らかにした。
国防部によると、今年9-10月に予定されている実尾島部隊員4人の遺体発掘開土祭で、国防部軍人権改善推進団長が申源湜(シン・ウォンシク)長官の謝罪文を代読する予定だとのことだ。
開土祭とは、墓地を造るために土地を初めて掘る時に行う祭祀(さいし)のことだ。実尾島事件後に死刑となり、埋葬された部隊員4人の遺体を探すため、埋葬場所と推定される京畿道高陽市のソウル市立昇華院にある碧蹄里墓地で行われる。
実尾島部隊は1968年4月に韓国中央情報部と韓国空軍が北朝鮮への侵入を目標に創設した部隊だ。同年1月に金新朝(キム・シンジョ)ら北朝鮮武装共産軍の工作員たちがソウルに侵入したため、これに対応する目的で創設された。
実尾島部隊が作られて3年後の1971年8月、部隊員24人は過酷な訓練や不当な待遇に苦しみ、基幹兵(中心兵)18人を殺害して脱出した。彼らはバスを乗っ取って青瓦台(大統領府)に向かったが、軍・警察との銃撃戦の末、手りゅう弾を爆発させて自爆した。この過程で20人が死亡し、4人は生き残ったが、生存者たちも死刑になった。空軍は死刑執行を遺族などに知らせず、遺体も家族に引き渡さずに埋葬した。
2022年、「真実・和解のための過去史整理委員会(真実和解委)」は遺体埋葬地調査および遺体発掘と被害者に対する謝罪を勧告している。
ノ・ジャウン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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