「保守メディアが保守政権をもっと鋭く批判しなければならない」――。1月末に朝鮮日報の批評欄に掲載された読者権益委員会の記事タイトルだ。保守メディアの見方で保守政権を批判する方が左派メディアによる批判よりも政府・与党には鋭く感じられるという意味だ。教科書的に言えば、メディアが権力を批判することがメディアの存在理由だ。その対象である権力が右派であれ左派であれ、メディアが保守的であれ左派的であれ関係な..
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「保守メディアが保守政権をもっと鋭く批判しなければならない」――。1月末に朝鮮日報の批評欄に掲載された読者権益委員会の記事タイトルだ。保守メディアの見方で保守政権を批判する方が左派メディアによる批判よりも政府・与党には鋭く感じられるという意味だ。教科書的に言えば、メディアが権力を批判することがメディアの存在理由だ。その対象である権力が右派であれ左派であれ、メディアが保守的であれ左派的であれ関係ない。マスコミの存在理由は批判機能だ。
振り返れば、歴史的な節目ごとに政権、特に保守政権を退陣させる上で大きな作用を及ぼしたのは、いわゆる「朝中東」(朝鮮日報・中央日報・東亜日報の略称)と呼ばれる保守・右派メディアだった。1960年に不正選挙に反発するデモで李承晩(イ・スンマン)大統領が下野した4・19(当時は左右の区別が明確ではなかったが)でも、5・18(1980年の光州事件)でもそうだった。朴槿恵(パク・クンヘ)政権の退陣にも朝中東は機能を果たした。それが果たして正しい歴史の流れだったかどうかは今でも論争の的だが。
2000年代に入り、保守メディアが主流となる状況でも、保守政権の大統領は相次いで獄中生活を送り、文在寅(ムン・ジェイン)政権が胎動し、今も圧倒的議席を持つ左派政党の専横とそのリーダーの健在ぶりを目撃している。それは保守メディアが保守政権を批判し、結局左派政権が勢いづくのを助けたにすぎない。
では左派メディアはどうだったのか。左派メディアは左右の区別なく公正だったのか。保守・右派政権を攻撃する際には、時に「フェイクニュース」を駆使するほど冷酷で攻撃的だったが、左派権力を批判する際にもそれほど厳しく臨んだのか。ある代表的左派メディアは、文在寅政権時代にある事務官の内部告発事件を最初から報道さえせず、自社労組から告発されたことがある。あるメディア担当記者は「左派メディアが左派権力を批判するのをこの十数年間見た記憶がない」と話す。
批評者も保守政権に対する保守メディアの態度は批判し、左派メディアによる偏向報道には口を閉ざしている。そういう意味で保守政権は皆に叩かれる存在だ。左派メディアから無差別な攻撃と扇動的な批判を受けながら、保守メディアにも挟み撃ちされ、さらに批評者や観戦者の批判まで甘受しなければならない立場であるからだ。
私は最近、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領夫人の金建希(キム・ゴンヒ)氏に関連するいわゆる「ディオールバッグ事件」で保守メディアの硬直性を感じる。大統領夫人がそんな「贈り物」を親北朝鮮関係者から脈絡もなく受け取ったということ自体が間違っている。それに意地を張って事件を長期化させた大統領側の態度も理解不能だ。しかし、これが果たして政権2年目の尹政権に打撃を与えるほどの大きな政治的事件なのか。CNN、ニューヨークタイムズなど米国メディアも大きく扱っているが、バッグを受け取ったことの是非よりも、むしろそれが韓国社会で大きく話題になり、選挙に影響を及ぼしている点に改めて驚いて(?)いるという印象を受ける。もしかしたら、韓国の民主主義の成長ぶりを真逆に比喩しているかもしれないとも思えるほどだ。
4月10日の韓国総選挙は韓国の政治情勢で重要な意味を持つ。韓国の左派と右派の勢力関係を決める選挙で大統領夫人が受け取ったバッグが有権者の決定的な選択資料になるとすれば仕方がないことだ。「国民」を責めることはできない。しかし、判断の基準は大統領の重要な政策決定、安全保障・国防の方向決定、国民の経済的生活であって、それが大統領夫人のバッグ授受ではあまりにもレベル的に虚しくないか。一部は大統領が「謝罪」してやり過ごせばよいと言っているが、隠しカメラで撮影し、1年間寝かせておいて、総選挙前に暴露するほど緻密で計画的な左派が果たして「謝罪」だけで事件を済ませるだろうか。事件が謝罪した時点から第2幕に移ることは明らかだ。
保守を批判することが、保守メディアが左派メディアと異なる長所だとする主張もある。しかし、現実論で保守メディアが大統領の過ちでもなく、その夫人の軽率さに執着することは、価値を取り違えている。保守メディアは保守政権であれ左派権力であれ批判すべきは批判しなければならない――それがメディアとしての道だが、それは同時に原則論的でもある。保守メディアの行動が今後5年間を左右するかもしれないという点を認識しなければならない。保守だとか左派だとか進歩だとかいうこと自体が価値志向的な概念だ。価値を失えば、公正なマスコミに何の意味があるのか、改めて考えさせられる。大きく捉えれば、保守層全般の問題でもある。
李承晩大統領の一生を描いた映画「建国戦争」が多くの国民の関心を集めて上映されている。せっかく広義の保守メディアが機能する契機をつくっている。「ディオールバッグ事件」がその流れをせき止めることにならないことを願う。
金大中(キム・デジュン)コラムニスト
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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