【ソウル聯合ニュース】「最も格好いいのは伝統の国楽(韓国伝統音楽)です。伝統を伝えたいという思いでフュージョン(融合)国楽にも挑戦しています」――。30年にわたり韓日両国を行き来しながら演奏活動を続けてきた在日韓国人3世の国楽家、閔栄治(ミン・ヨンチ)氏(53)が1日、聯合ニュースとコリアネットの共同インタビューに応じ、国楽への思いをこう語った。
閔氏は大阪で生まれ、中学卒業後に韓国へ渡りソウルの..
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【ソウル聯合ニュース】「最も格好いいのは伝統の国楽(韓国伝統音楽)です。伝統を伝えたいという思いでフュージョン(融合)国楽にも挑戦しています」――。30年にわたり韓日両国を行き来しながら演奏活動を続けてきた在日韓国人3世の国楽家、閔栄治(ミン・ヨンチ)氏(53)が1日、聯合ニュースとコリアネットの共同インタビューに応じ、国楽への思いをこう語った。
閔氏は大阪で生まれ、中学卒業後に韓国へ渡りソウルの国立国楽高校とソウル大国楽科を卒業した。大学時代、韓国伝統のチャング(打楽器)とテグム(管楽器)で受賞し、伝統楽器奏者としての実力を認められた。卒業後は新たな試みと自由な作品活動を求めてソリストとしての道を選び、現在まで「新韓楽」の普及に努めている。新韓楽は閔氏が国楽とジャズの融合を目指して立ち上げたプロジェクトだ。
時代のトレンドを反映したフュージョン国楽を広め、またこれを通じて国楽の継承を願う閔氏に話を聞いた。以下は一問一答。
――国楽家としての道を歩むことになった背景は。
「父は果たせなかった音楽の夢があり、4人の子どもを芸術家に育てた。そのため、私は自然と音楽に接する環境で育った。狭かった家は父の集めたスピーカーであふれかえり、姉はカヤグム(伽耶琴)、兄はピリ(笛)、妹は韓国舞踊を専攻した。日本で在日同胞は多文化に属するが、これは可能性であり、競争力だと思う。梨花女子大と秋渓芸術大で韓国人の学生を教えているが、機会があれば在日同胞の学生も韓国に連れてきて韓日両国の文化に通じたハイブリッド国楽家として育成したい」
――新韓楽はフュージョン国楽だが、これにチャレンジした理由は。
「国立国楽高校とソウル大国楽科を卒業したが、小中学生時代はブラスバンドでドラムを演奏していたため、私の頭の中には西洋音楽と国楽がどちらも存在している。大学卒業後、国楽の楽団に入ることもできたが、東洋・西洋音楽の融合に挑戦してみたくてフリーランスの道を選んだ。国楽は中毒性の強い音楽だが、初心者には難しい芸術なので(魅力に)はまりにくいのが難点だった。そのため、現代の人々が国楽の魅力を容易に感じられるよう、さまざまな試みをした。PSY(サイ)、シン・ヘチョル、イ・ムンセ、カン・サネ、DJ DOC、Roo’Ra、Panicなどのポップ歌手だけでなく、鄭明勲(チョン・ミョンフン)、チョン・ミョンファ、スミ・ジョー、梁邦彦(ヤン・バンオン)といったトップレベルの演奏者とコラボレーションしたフュージョン国楽を披露したこともある」
――在日同胞として国楽の演奏活動で苦労したことはあるか。
「私は二つのアイデンティティーを持つ境界人としての人生を生きてきた。韓国、日本のどちらにも完全に属することが難しい在日同胞のアイデンティティーのおかげで、むしろ、より自由に他の音楽と交流できたと思う。私にとっては自然な試みが他の人々にとってはより新しく、新鮮に映り、反響を得たのだろう」
――海外で多くの舞台に立ったが、反応が良かった公演は。
「海外ではフュージョンではなく真のオリジナル国楽の演奏が望まれる。彼らは国楽の雄大さに熱狂する。国楽こそ彼らが決してまねできない、われわれのものだからだ。海外では歌詞が主体の公演より、踊りや演奏の方が反応がはるかに良い。歌は字幕を付けても伝達に限界があり、唱法が少し違うとしても似たものがすでにある場合が多いためだ」
――観客に望むことは。
「偏見をなくし、完全にオープンな気持ちで芸術に接してほしい。芸術家は競争しない。ジャンルが違っていても、良い作品をつくり人々の心を豊かにするため努力している」
――今後の公演計画は。
「12月にソウルで『世界に響くアリラン』という公演を行い、来年4月には駐大阪韓国文化院の25周年に合わせて大阪のザ・シンフォニーホールで国立国楽院創作団と協演する。これまでは伝統を伝えるためにフュージョン協演などさまざまな試みをしてきたが、50代になり、そろそろ本当に伝えたかった『オリジナルの伝統』に取り組んでもいい時期ではないかと思っている。そのため、来年10月には(韓国伝統芸能の)サムルノリの巨匠、金徳洙(キム・ドクス)氏をお招きして東京で公演し、11月には国楽と日本の能の創作舞台で福岡、大阪、東京、ソウルを回る4都市ツアーを計画している」
聯合ニュース
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