▲1983年9月、ソ連軍の戦闘機に撃墜されて亡くなった大韓航空007便の乗客の遺族が稚内近くの海域に到着し、船べりをつかんでむせび泣いている様子。
「大韓航空機撃墜事件が起きる前日、米国ジョン・F・ケネディ国際空港で撮った母の写真です。『何でも4回は試してみなさい』と言っていた強い人でしたが…」
8月28日、ソウル市瑞草区のカフェで会ったチョ・ウォンチョル延世大学建設環境工学科名誉教授(74)は、母親クォン・ヨングムさん(当時70歳)の色あせた写真を眺めながら語った。クォンさんは1983年に起きた「大韓航空(KAL)007便撃墜事件」の犠牲..
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▲1983年9月、ソ連軍の戦闘機に撃墜されて亡くなった大韓航空007便の乗客の遺族が稚内近くの海域に到着し、船べりをつかんでむせび泣いている様子。
「大韓航空機撃墜事件が起きる前日、米国ジョン・F・ケネディ国際空港で撮った母の写真です。『何でも4回は試してみなさい』と言っていた強い人でしたが…」
8月28日、ソウル市瑞草区のカフェで会ったチョ・ウォンチョル延世大学建設環境工学科名誉教授(74)は、母親クォン・ヨングムさん(当時70歳)の色あせた写真を眺めながら語った。クォンさんは1983年に起きた「大韓航空(KAL)007便撃墜事件」の犠牲者だ。チョ名誉教授は「米国で大学院の博士課程に在籍していた私に会いに来て、帰国の途上、事件に遭った」とし「ニューヨークでのあの日が永遠の別れになるとは思わなかった」と述べた。
米国と旧ソ連(ロシア)の冷戦の真っ最中だった1983年9月1日未明、米国ニューヨークからアンカレッジを経由して金浦空港へ向かっていた大韓航空007便は、謎の理由で従来のルートから外れ、サハリン付近のソ連領空に入り込んだ。出動したソ連の戦闘機はミサイルを発射し、民間機の007便は撃墜された。飛行機に乗っていた韓国人・米国人・日本人など269人が犠牲になった。ソ連の協力が得られなかったため、遺体が故国に戻ることはなく、遺品の一部のみが遺族の元へ戻ってきたという。
今年で事件発生から40年たったが、事件の原因はまだはっきり明らかにされていない。当時、007便は米国アンカレッジ空港を出発してからわずか10分で航路からそれた。事件直後、韓米は原因調査に乗り出したが、旧ソ連との冷戦により事件現場に接近できず、挫折した。事件から10年後の1993年7月、国際民間航空機関(ICAO)は、旧ソ連が提供したブラックボックスの分析報告書を出したが、そこでは「パイロットは自動の慣性航法装置(INS)ではなく手動操縦のヘッディング(HDG)モードで運航していた」となっている。パイロットの過失に重きを置いたものと解釈された。
しかし、一部の遺族は疑念を提起した。チョ名誉教授は「ICAOは当時、事件を縮小しようと必死だったソ連のブラックボックスしか持っておらず、分析に100%の信頼はできないと思う」とし「当時運航を担当していた千炳寅(チョン・ビョンイン)機長は飛行時間だけでも1万540時間を超えるベテランで、ミスしたとは考え難いのではないか」と語った。
ソウル市永登浦区在住のシム・ジェグァンさん(72)も、40年前にこの事件で母親ペ・ブンスンさん(当時67歳)を失った。ペさんは、シムさんの長女と妹に会いに米国を訪れたが、帰国の際、事件に遭遇した。シムさんは「6人きょうだいを苦労して育てた母親が一瞬で姿を消したというのが、ひたすら信じられなかった」と語った。遺族らは、全斗煥(チョン・ドゥファン)政権での東欧圏融和政策、盧泰愚(ノ・テウ)政権での対ロ国交樹立が行われる中で、真相究明は難しかったと言う。シムさんは「全斗煥政権は88年ソウル五輪のソ連と東欧諸国の参加をデリケートに捉え、この延長線上で、韓国政府は1991年にソ連側へ14億ドル(現在のレートで約2050億円)の借款を提供した」とし「自然と、事件は埋もれるほかなく、ロシアとの国交樹立後、007便撃墜問題が外交的問題として触れられることはほとんどなかったと記憶している」と述べた。大韓航空007便撃墜事件から1カ月後の1983年10月に北朝鮮が「アウンサン廟(びょう)爆弾テロ事件」を起こし、国民的関心事が爆弾テロに移ったことも影響を及ぼした。
事件から40年がたち、当初は犠牲者の両親・配偶者などが中心になっていた遺族会も子ども世代になりつつあるという。3代目の遺族会長を務めているユ・ジュンソンさん(54)は、建設機械の会社に勤めていた父親を事件で失った当時、まだ14歳の少年だった。ユさんは「遺族会に100人くらい集まっているが、やるだけやったものの明らかになる真実はなく、疲れているのは事実」とし「胸の痛む記憶をもう忘れたい、という方も多い」「今では遺体の一部、遺品の一つでも受け取るのが望み」と語った。
遺族らは、各種の外信の報道に残された遺族らの心境などを整理し、若い世代が見ることのできるようにする予定だという。シムさんは「この事件が冷戦時代の大きな悲劇だったことを、若い世代が記憶してくれればと思う」とし「厳しい外交秩序の中、弱小国に転落したらまたやられてしまいかねないだけに、後の世に繰り返されることがなければと願う」と語った。
■大韓航空007便撃墜事件とは
1983年9月1日、大韓航空007便が、当時ソ連の領空だったモネロン島付近の上空でソ連軍の戦闘機によって撃墜された事件。007便はニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港を出発し、アラスカのアンカレッジを経て金浦国際空港へ向かっていた途中、この事件により乗客乗員269人全員が死亡した。
キム・スンヒョン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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