▲安重根義士の母親、趙瑪利亜。/写真=国家報勲処
安重根(アン・ジュングン)=1879-1910=の義挙を題材とし、2022年12月に封切りされた映画『英雄』。この作品で観客が大いに感動させられたところといえば、結末で安重根の母親・趙瑪利亜(チョ・マリア)=1862-1927=が登場する場面でしょう。趙瑪利亜は監獄にいる息子・安重根にハングルで書いた手紙を送り「命乞いをせず大義のために死ぬべき」と激励し、寿衣(死に装束)を届けます。女優ナ・ムニ..
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▲安重根義士の母親、趙瑪利亜。/写真=国家報勲処
安重根(アン・ジュングン)=1879-1910=の義挙を題材とし、2022年12月に封切りされた映画『英雄』。この作品で観客が大いに感動させられたところといえば、結末で安重根の母親・趙瑪利亜(チョ・マリア)=1862-1927=が登場する場面でしょう。趙瑪利亜は監獄にいる息子・安重根にハングルで書いた手紙を送り「命乞いをせず大義のために死ぬべき」と激励し、寿衣(死に装束)を届けます。女優ナ・ムニの熱演と、「私の息子、私の愛するドマ(安重根の洗礼名トマスの当て字)」で始まるミュージカルナンバー(挿入歌)がこの場面を一段と悲壮なものにしています。
文章の順序や一部表現の差はありますが、その手紙の内容は、これまでさまざまな書籍やメディアを通して伝えられ、韓国ではよく知られています。それが次の(a)です。〈これより、資料を(a)と(b)に区分します〉
(a)「おまえがもし、老いた母より先に死ぬことを不孝と考えるのであれば、この母は笑い者になるだろう。おまえの死はおまえ一人のものではなく、朝鮮人全体の公憤を背負っているのだ。おまえが控訴をしたら、それは日帝に命乞いをすることになる。おまえが国のためにここに至ったとあらば、余計なことを決心せず死ぬべき。正しいことをして受ける刑なのだから、ひきょうに命乞いをせず、大義に死することがこの母に対する孝道だ。おそらくこの手紙が、この母のおまえに書く最後の手紙になるだろう。ここに寿衣を作って送るので、これを着て行きなさい。母は現世でおまえと再会することを期待していないので、次の世では必ず、善良な天父の息子となり、この世にいでよ」
現在、大多数の韓国人は、安重根の母親が死刑目前の息子にこういう感動的な文章を送ったと信じて疑いません。
ところが…私が少し前に別の資料で見た趙瑪利亜の伝言は、かなり結末が違うものでした。
(b)「母は現世でおまえと再会することを望んでいないので、おまえは今後、神妙に刑に服して速やかに現世の罪悪を償った後、次の世では必ず、善良な天父の息子となり、この世に再びいでよ。おまえが刑に服するとき、ウィレム神父さまがおまえのために山を越え川を越え、遠い道を行っておまえに代わってざんげをささげるだろう。おまえはそのとき、神父さまの引導の下、わが教会の法度に従って静かに世を去りなさい」
(b)は(a)の末尾の文章から始まり、(a)で出ていたその前の部分は全て抜けています。逆に、読んでいてかなり気分を害する、意外な内容が追加されています。(a)は「おまえは大義に従い、立派なことをやったのだから命乞いをせずに堂々と死ぬべき」という内容ですが、(b)は「おまえは現世で殺人という罪を犯したのだから神父さまがおまえに代わってざんげをする。おまえはそれに従ってしかるべき刑罰を受けて、死後に罪を償い、生まれ変わるべき」と叱っています。特に「罪悪」という単語を見て、目を疑う人も多いでしょう。
二つの資料は、完全に違う内容を記しているのです。
これは一体どういうことで、真実は何なのでしょうか。
まず、手紙として知られている(a)の実体と出典は非常にあいまいものでした。2016年、この手紙について「伝えられている物語にすぎず、実際の記録として残されたものではない」という報道もありましたが、いつ、どういったルートで伝えられたものなのかは言及がありませんでした。
ところが2019年3月7日、ネットメディア「ニューストップ」に意外な記事が載りました。イスラムの専門家、キム・ドンムン氏が書いた記事です。手紙(a)が最初に登場した資料は、日本の大林寺の住職、斎藤泰彦(たいけん)氏が書いて1994年1月に出版した『わが心の安重根』だったというのです。この記事は「オンラインや日常において回覧されている趙瑪利亜女史の手紙は、日本人の斎藤泰彦住職を通して唯一伝えられた口説にすぎない」という結論を下しました。
斎藤氏は何を根拠に、あのような手紙の内容を本に書いたのでしょうか。少し前に、金薫(キム・フン)の小説『ハルビン』が安重根を歪曲(わいきょく)していると論文を書いて批判した、学界の安重根専門家で韓国近現代史学者の都珍淳(ト・ジンスン)昌原大学教授に電話をかけました。都教授は、ちょうど映画『英雄』を鑑賞した直後、問題は深刻だと考えて「趙瑪利亜の手紙」をテーマに論文を書き、「歴史批評」に投稿したと言いました。
論文のタイトルは「安重根の母親・趙瑪利亜の〈手紙〉と〈伝言〉、操作と実体」です。趙瑪利亜の手紙の真偽を巡る問題について、学界初の論文だと言えます。今回、この未発表論文の内容が何なのか、分析してみたいと思います。
■趙瑪利亜、三つの「伝言」の実体
安重根がハルビンで伊藤博文を暗殺したのは1909年10月26日でした。弟の安定根(アン・ジョングン)、安恭根(アン・コングン)が安重根と初めて面会した日は12月23日で、ここで母親・趙瑪利亜の「伝言」を伝えました。この面会の光景は、12月24日付大阪毎日新聞が初めて報じ、この日本語の記事を翻訳して28日に皇城新聞、29日に大韓毎日申報が同じ内容を報じました。その内容はこういうものです。
「兄弟間で対面したとき、末弟・安恭根が正気を失い痛哭(つうこく)し、豪胆な兄・安重根も突然血が胸に満ちるかのように上気した表情を見せたが、少しばかりして3兄弟はどうにか気を取り直した。弟二人は母の送った十字架を取り出し、兄・安重根の目の上に頂いて母の『伝言』であるとし…」
弟二人は明らかに、母の書いた手紙を持っていませんでした。伝言、すなわち母親・趙瑪利亜の言葉を兄・安重根に伝えただけです。続いて出てくる趙瑪利亜の伝言こそはまさに…
上で言及した(b)の内容でした。現世で再び会うことを願わず、おまえは刑に服して速やかに現生の罪悪を償った後、次の世では必ず善良なる天父の息子となり、世に再びいでよと。そして神父さまが代わりにざんげをささげると。
この言葉を聞いた安重根が驚いたとか失望したという記録はありません。「誓って、教会の法度にのっとり、信徒の資格と臣子の道理において醜態を見せず、最後を迎えるつもりなので、お母さまは安心なさいますよう」と答えたといいます。
兪碩在(ユ・ソクチェ)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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