▲1997年、韓国訪問当時の李南徳さん。/写真=NEWSIS
【NEWSIS】韓国名は李南徳(イ・ナムドク)。「南方から来た徳の高い女性」という意味で、李仲燮(イ・ジュンソプ)が付けた名だ。
韓国の国民的画家・李仲燮(1916-56)夫人の山本方子さんが、日本国内で他界したことが30日に確認された。享年101歳。
東京で暮らしていた山本方子さんは今月13日、老衰により世を去ったという。済州・西帰浦の李仲燮美術館などが30日に明らかにした。
故人と李仲燮は1..
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▲1997年、韓国訪問当時の李南徳さん。/写真=NEWSIS
【NEWSIS】韓国名は李南徳(イ・ナムドク)。「南方から来た徳の高い女性」という意味で、李仲燮(イ・ジュンソプ)が付けた名だ。
韓国の国民的画家・李仲燮(1916-56)夫人の山本方子さんが、日本国内で他界したことが30日に確認された。享年101歳。
東京で暮らしていた山本方子さんは今月13日、老衰により世を去ったという。済州・西帰浦の李仲燮美術館などが30日に明らかにした。
故人と李仲燮は1936年、日本の文化学院美術部の先輩・後輩として縁ができた。43年に朝鮮へ戻った李仲燮は、文化学院時代に交際していた山本方子さんと45年に元山で結婚式を挙げ、李南徳という韓国式の名前を付けてやった。
戦争が激化しつつあった44年12月、山本さんは「結婚が急務だ」という李仲燮からの電報を受け取り、空襲を避けて単身、朝鮮海峡を渡った。生前、山本さんは「45年に下関から釜山へ向かう最後の関釜連絡船に乗った」と伝えていた。その年、二人はソウルで対面を果たし、元山で伝統にのっとって婚礼を挙げた。
故人は李仲燮のモデルかつミューズかつ、恋しさの絵だった。李仲燮の数多くの作品に山本さんが登場する。1952年に山本さんは、父親の死に伴って2人の息子を連れて日本へ渡ったが、これが李仲燮との最後のつながりだった。李仲燮は、日本にいる妻と2人の息子を恋しがり、手紙を送った。52年6月に家族を日本へ送り出した後から描き始めた数多くの銀紙画(たばこの包装の銀紙を利用した、李仲燮創案の技法)は、李仲燮の代表作として残った。
主に家族や子どもたちの姿が描かれていたが、李仲燮はそのうちおよそ70点を、53年に日本にいる妻へ渡した際、「後々事情が良くなったら大作として完成させようと描いてみたスケッチなので、絶対に他人に見せてはいけない」と頼んだ-というエピソードも伝えられている。当時、李仲燮が故人へ送った絵手紙は「僕のかわいい、大切な南徳」「足の指」など、鳥肌立つ愛情表現で満ちている。
特に54年11月、妻に送った絵手紙はひりひりする。「私だけのすばらしくやさしい私の天使よ…益々(ますます)はりきって益々げんきでがんばってね。画工李仲燮君は最愛の賢妻南徳君を幸福の天使に高く美しく広くほりあげてみせます。(中略)私の最愛の妻南徳天使ばんざいゝ」とつづられ、再会を望む李仲燮の切ない気持ちと期待を確認できる。
家族と生き別れたまま56年に栄養失調や肝炎などで世を去った夫・李仲燮を送った後、山本さんは生涯再婚しなかった。昨年、二人の逸話を題材にした『愛を描いたひと イジュンソプと山本方子の百年』が小学館から出版された。韓国語にはまだ翻訳されていない。
パク・ヒョンジュ美術専門記者
NEWSIS/朝鮮日報日本語版
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