▲7年間共に過ごした盲導犬とおそろいの修士帽子をかぶるソ・ジュヨンさん。 写真提供=ソ・ジュヨンさん
2014年に視覚障害者としては初めて国費留学したソ・ジュヨンさん(31)が8月、米イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校情報科学学部の助教授に任用される。ソさんは先天性緑内障により12歳で視力を失った1級視覚障害者だ。目の前のものだけはぼんやりと見分けることができる。成均館大学で教育学・英語英文学を専攻し、韓国初の「視覚障害者国費留学生」に選ばれ、米国で工学修士号・博士号を取った。同居する家族もな..
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▲7年間共に過ごした盲導犬とおそろいの修士帽子をかぶるソ・ジュヨンさん。 写真提供=ソ・ジュヨンさん
2014年に視覚障害者としては初めて国費留学したソ・ジュヨンさん(31)が8月、米イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校情報科学学部の助教授に任用される。ソさんは先天性緑内障により12歳で視力を失った1級視覚障害者だ。目の前のものだけはぼんやりと見分けることができる。成均館大学で教育学・英語英文学を専攻し、韓国初の「視覚障害者国費留学生」に選ばれ、米国で工学修士号・博士号を取った。同居する家族もなく、「唯一の光」である盲導犬と「2人」きりで米国に行って7年。ソさんは韓国に帰ってくるのではなく、米国で教授への道を歩むことにした。国費で留学をしても規定上、本国に戻る義務はない。
ソさんは15日(韓国時間)、本紙とのオンライン・インタビューで、「国の支援を受けて勉強した立場なので心の重荷がある一方で、恥ずかしいという気持ちもあります」と言った。それでも、「韓国で私が教授になることができたでしょうか?」「韓国の弱者たちのことを忘れないようにして、彼らの助けになる研究をします」と語った。
1990年生まれのソさんはほかの少年たちと同様、コンピューターが好きな子どもだった。一番好きなゲームは「スーパーマリオ」。小学5年生の時、急激に視力が落ちて盲学校に転校してから、ソさんの人生は180度変わった。「絶対に(職業を)さげすんでいるわけではありませんが、視覚障害者の80-90%がマッサージ師をしています。各自の適性や才能は違うかもしれないのに、マッサージ師でなければ社会福祉、特殊教育、宗教人のように画一化された職業に自分自身を合わせなければならないという事実が悲しかったです」と言う。
教室でもそうした限界を感じた。「盲学校時代、ある先生が『お前たちは数学の成績で5等級(中の下)が取れたら、1等級(最上位)だと思えばいい』と言いました。ノミに天井を作ったんです」。ノミは自分の体の100倍以上の高さまで跳べるが、箱に閉じ込めておくと、何度も天井にぶつかるうちに、最終的に跳ぶ高さが低くなるという有名な昆虫実験を引き合いに出した言葉だ。
大学でコンピューター工学を学びたいと思っていたが、視覚障害者には事実上、不可能なことだった。点字によるきちんとした専攻書籍すらない。これまでの障害者たちが学んできた社会福祉や特殊教育といった分野しか道がなかった。結局、教育学に進路を変更しなければならなかった。
米国留学を夢見たのは高校の時からだった。ある福祉財団の後援を受けて、米シアトルに6週間滞在した時、コンピューター工学博士課程の視覚障害者に会った。「全盲の方ですが、今は『フェイスブック』でマシン・ラーニング・エンジニア(機械学習エンジニア)として働いています。また会計士、哲学者、教授をしている視覚障害者に会い、文化的な衝撃を受けました」
大学卒業後の2014年に国費留学生に選ばれて渡米した。だが、米国も「障害者の天国」ではなかった。盲導犬と一緒にタクシーに乗ろうとして乗車拒否をされたり、レストランから追い出されたりした。しかし、ソさんは「米国では障害に関係なく、私の夢を広げることができるということ、自ら『私はこれだけ跳べるんだ』と気付きました」と話す。ソさんが通ったペンシルバニア州立大学では、ソさんの統計の授業のために800万ウォン(約77万円)をかけて点字教材を作ってくれた。自分は数学ができないと思っていたソさんは、その授業で一般学生と競い合ってA+評価を受けた。「私も驚きました。障害の有無に関係なく、各自が受け取れる形で情報を与えてもらうと、結果が全く違ってくる可能性があることに気づきました」。「ノミの天井」が崩れた瞬間だった。
ソさんは米国での教育と工学の接点である教育工学を学んだ。「私の研究のキーワードは『アクセシビリティ』です。普通1時間もあればできることも、目が見えなければ3-4時間勉強しなければならない。技術を通じてそうした情報を得る格差を減らすのが目標です」
ソさんは、いわゆる「スーパー障害者」にはなりたくないという。「教授になった障害者である韓国初の国費留学生」という、特異な1人の人間で終わってはいけないということだ。「視覚障害者たちが自身の可能性を発揮できていない韓国の構造的な問題が解決するとうれしいですね。点ではなく線につながっていかなくては。今は、私が最初であり、特別かもしれませんが、こうしたことが『何でもないこと』になるといいですね」
ハン・イェナ記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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