▲/写真=文化財庁
「さあ、実物を公開します。いち、にっ!」
遺物を覆っていた白い布がめくられると、感嘆の声が湧き起こった。長さ10センチ、重さ50グラム。指尺にも満たない花びら型の盒(ごう。ふた付きの容器)に細かく施された螺鈿(らでん)のキクの花が、光を浴びてきらめいた。2日午後、ソウル・国立古宮博物館の講堂で。900年ぶりに故国へ戻ってきた高麗時代の国宝級の螺鈿漆器盒がメディアに公開された瞬間だった。
■青磁・仏..
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▲/写真=文化財庁
「さあ、実物を公開します。いち、にっ!」
遺物を覆っていた白い布がめくられると、感嘆の声が湧き起こった。長さ10センチ、重さ50グラム。指尺にも満たない花びら型の盒(ごう。ふた付きの容器)に細かく施された螺鈿(らでん)のキクの花が、光を浴びてきらめいた。2日午後、ソウル・国立古宮博物館の講堂で。900年ぶりに故国へ戻ってきた高麗時代の国宝級の螺鈿漆器盒がメディアに公開された瞬間だった。
■青磁・仏画と共に高麗美術の精髄
文化財庁と国外所在文化財財団は2日、「韓国国内に1点もなかった高麗螺鈿菊花唐草文盒(写真)=以下「螺鈿盒」=を昨年12月に日本の個人コレクターから購入した」として実物を公開した。
螺鈿漆器は青磁・仏画と共に高麗美術の精髄に挙げられるが、完全なものは世界を通して15点しか残っていない。このうち螺鈿盒は5点。その中でも花びら三つを合わせた形のものはわずか3点だ。米国メトロポリタン美術館と京都・桂春院の所蔵品、そして今回戻って来た日本の個人コレクターの所蔵品だ。
取り戻しの主役は国外所在文化財財団。同財団のキム・ドンヒョン流通調査部長は「高麗螺鈿の名品の相当数は日本にあるが、大部分は国の重要文化財に指定されていたり博物館・寺院の所蔵品だったりするので、この作品が唯一購入可能な遺物だった」とし「所蔵者を粘り強く説得し、1年にわたって交渉した結果」と語った。金属工芸専攻の崔応天(チェ・ウンチョン)財団理事長は「2004年に初めてこの作品を東京で見て、韓国にぜひ持ってきたいと思ったが、今ようやく願いがかなった。押し引きする交渉の末、昨年12月に実現したが、すぐにコロナが起こった。交渉がもっと長引いていたら、数年後まで伸びていたり永遠に戻ってこなかったりしただろう」とコメントした。
■なぜ韓国国内には残っていなかったのか
高麗螺鈿漆器が韓国国内になく、日本などにのみごく少数残っている理由は何か。専門家らは、螺鈿漆器の材質の特性上、非常に繊細で壊れやすい上、温度・湿度の変化に弱く、保存が難しい-と語った。財団側は「タイマイ、ヤコウガイなど最高に高価な輸入品を使って、ごく少数が制作されたので、高麗時代においても極めて貴重だった」と説明した。
高麗螺鈿漆器は当時、外国の王室に贈る「豪華プレゼント」として人気があった。現在残っている高麗螺鈿漆器は、大部分がずっと以前から日本の寺院で所蔵してきたものだ。明知大学の兪弘濬(ユ・ホンジュン)碩座(せきざ)教授(寄付金によって研究活動を行えるよう大学の指定を受けた教授)は「当時、日本の寺院が積極的に高麗から輸入して『珍品中の珍品』として大切に保管してきた」とし「韓国国内からは消えた螺鈿漆器が日本の寺院を通してこんにちまで残っているというのは逆説的」と語った。
これで韓国は、完全な形の高麗螺鈿漆器遺物を3点保有することになった。今回戻ってきた螺鈿盒は国立中央博物館に所蔵される。同博物館は、今年下半期に特別展「高麗の色、漆」でこの遺物を展示する予定だ。
許允僖(ホ・ユンヒ)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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