勝負の世界は非情だ。同じ空の下にナンバー1が2人存在することはできない。「ナンバー1だけが記憶される世界」では多くのスポーツ選手が涙を流す。「フィギュアの女王」キム・ヨナ(26)と同じ時代を生きた浅田真央(26)=日本=はそうした運命の下に生まれた選手だった。
浅田は10日夜遅く、自身のホームページで正式に引退を発表した。「ご報告致します」というタイトルの引退発表文で、浅田は「突然ですが、私、浅..
続き読む
勝負の世界は非情だ。同じ空の下にナンバー1が2人存在することはできない。「ナンバー1だけが記憶される世界」では多くのスポーツ選手が涙を流す。「フィギュアの女王」キム・ヨナ(26)と同じ時代を生きた浅田真央(26)=日本=はそうした運命の下に生まれた選手だった。
浅田は10日夜遅く、自身のホームページで正式に引退を発表した。「ご報告致します」というタイトルの引退発表文で、浅田は「突然ですが、私、浅田真央は、フィギュアスケート選手として終える決断を致しました。今まで、長くスケートが出来たのも、たくさんの事を乗り越えてこれたのも、多くの方からの支えや応援があったからだと思います。」「去年の全日本選手権(12位)を終えた後、それまでの自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなりました。このような決断になりましたが、私のフィギュアスケート人生に悔いはありません」(原文ママ)と述べた。 2018年の平昌冬季五輪に挑戦する意向を何度も表明していた浅田だが、22年にわたるフィギュアスケート選手としての人生を11文という短い声明でついに終えることとなった。
浅田はキム・ヨナと共に2000年代半ばから10年間、世界女子フィギュア界を二分した。 5歳の時にスケート靴を初めて履いた浅田は、子どものころから「天才少女」として注目された。天性のパワーと柔軟性に恵まれ、12歳の時に最高難度のジャンプ「トリプルアクセル(3回転半)」に成功した。ジュニア・グランプリ・ファイナル(2004年)、世界ジュニア選手権(05年)で優勝し、05年末にシニアのグランプリ・ファイナルまで制すると、日本国内では「国際スケート連盟(ISU)の規定を変えてでも浅田を06年のトリノ冬季五輪に出場させるべきだ」という世論がわき上がった。「満15歳以下の選手の五輪出場禁止」という選手を保護するための年齢制限がなかったら、浅田はトリノ五輪で金メダルを取っていたかもしれなかった。それほど圧倒的に強い選手だった。
独走状態が予想されたそのフィギュア人生に「生涯のライバル」キム・ヨナが登場したのは06年だった。ジュニア時代は格下と評されていたキム・ヨナだが、シニアになってからは目覚ましい成長を遂げ、試合に出場するたびに浅田と1・2位を競い合った。世界フィギュア界の中心が欧米からアジアに移った時期だった。07年グランプリ・ファイナルでキム・ヨナが優勝(浅田は準優勝)したかと思えば、1年後の同じ大会で浅田が優勝(キム・ヨナは準優勝)という状態だった。年齢も同じで、誕生月も同じ9月の2人は、演技やジャンプだけでなく、音楽・衣装・メイクの方法まですべて比較の対象になった。浅田は当時のインタビューで、「私たちは同じ年の同じ月に生まれ、身長もほぼ同じで、同じスケートをしている。運命のようだ」と語っている。
2人の運命が決定的に分かれたのは10年年のバンクーバー冬季五輪だった。浅田には主な武器としてトリプルアクセルがあり、キム・ヨナはジャンプや・表現力で完ぺきに近い選手として成長していた。2人の妖精によるバンクーバーでの対決は「世紀の対決」と呼ばれるほど熱かった。だが、勝ったのは合計23.06点という大差を付けて金メダルを手にしたキム・ヨナだった。その時から「ナンバー2」になった浅田は、4年後のソチ冬季五輪でもキム・ヨナに挑んだ。しかし、キム・ヨナが銀メダルと善戦したのに対し、浅田はミスを連発して6位に終わった。
キム・ヨナが引退した後も、浅田はスケート靴を脱がなかった。「五輪で金メダル」という夢を捨てられなかったのだ。だが、昨年12月には、6回優勝した経験のある全日本選手権で12位まで転落、引退を決意した。
浅田引退のニュースが伝えられると、日本の主要紙は1面で報じ、NHKなどの放送局も速報やトップニュースで伝えた。世界のフィギュア選手たちのコメントも相次いだ。フィギュア元日本代表の安藤美姫は写真共有ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)「インスタグラム」に「同じ時代にスケートができて 選手として同じリンクで日本代表として滑っていられた事を誇りに思います」と書いた。ある韓国のネットユーザーは「浅田がいなかったらキム・ヨナもこれほど成長できていなかっただろう」と書き込んだ。22年にわたり慣れ親しんだ氷上を去る浅田は、引退発表文の最後にこう書いている。「自分にとって大きな決断でしたが、人生の中の1つの通過点だと思っています。この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています」
イ・スンフン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
Copyright (c) Chosunonline.com