▲鮮于鉦(ソンウ・ジョン)論説委員
国会が大統領を弾劾した時、政治と法治の意味が気になった。大統領の進退問題を政治的妥協という努力なしに、たたきつけるように憲法裁判所に任せるのは正しいことなのか。法治は政治的難局を解決してくれる特効薬なのか。今の韓国社会で「法治」ほど強力な主張・原則はない。この原則を掲げて大統領弾劾が一気に推し進められた時、何かがおかしいと思いながらも、これといった反論が見つけられなかった。「法の通りにしよう」と..
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▲鮮于鉦(ソンウ・ジョン)論説委員
国会が大統領を弾劾した時、政治と法治の意味が気になった。大統領の進退問題を政治的妥協という努力なしに、たたきつけるように憲法裁判所に任せるのは正しいことなのか。法治は政治的難局を解決してくれる特効薬なのか。今の韓国社会で「法治」ほど強力な主張・原則はない。この原則を掲げて大統領弾劾が一気に推し進められた時、何かがおかしいと思いながらも、これといった反論が見つけられなかった。「法の通りにしよう」と言っているのにだ。
現実を理解しようと、図書館に行くたびに法に関する本を開いた。そして法曹関係者に会うたびに質問した。法律を専攻した人間ではないので、乱数表のような法の論理は難しかったが、いくつかは理解できた。政治と法治は不可分の関係であり、公正な法治は公正な政治から生まれるということや、失敗した政治は失敗した法治を招くということなどだ。目隠しをした法の女神のように、超然とした法治が世の中の混迷をすっきり整理してくれると信じることを「耽美(たんび)法治」「愚鈍な法治」と表現した学者もいた。ドイツの法学者カール・シュミットの名言通り、法は本質的に政治的だ。
法治はいつでも社会を安定させてくれるのだろうか。大統領の進退を法治に委ねた後、韓国社会が実際にどのように変わったか、週末の広場に出ればその答えが分かる。きょうの三・一運動記念日(1919年3月1日に日本統治からの独立運動が起こったことを記念する日)、ソウル市内の広場は法治が作った韓国の現実の姿をあらわにすることだろう。怒り・分裂・憎しみ…。最近「法の通りにしよう」と言っている人々こそ、憲法裁判所の弾劾審判後の社会的混乱を心配している。怒り・分裂・憎しみが暴力により爆発するのか懸念されている。弾劾が決まっても決まらなくても混乱するのは目に見えている。法の通りにすれば解決すると言っていたのに、なぜもっと暗い世の中になってしまうのか。失敗した政治は本当に失敗した法治に帰結するしかないのだろうか。
事態がこうした状況に至るまでに、何度も政治的妥協の機会があった。意味があったのは、大統領が「任期短縮を含めすべてを国会の合意に任せる」と述べた3回目の国民向け談話だった。政界の元老たちが「4月退陣、6月大統領選挙」案を提示した時だったので、決意さえすれば妥協できたはずだった。もちろん、妥協できてもしばらくの間は混乱しただろう。しかし、今のように国を二分するような事態にはならなかったはずだ。
この提案を野党は即座に蹴った。決定権を握っていた与党の非主流派は、ろうそく集会に参加する弾劾賛成派たちの顔色をうかがって野党側についた。だが最近は弾劾反対派の顔色まで見ているのか、有力な党職者が政治的解決策を主張し、弾劾前の大統領下野論を取りざたしている。彼らが民心を得られない原因が分かる気がする。その時、政界でささやかれた大統領陰謀論は政治の現状をありのままに示している。韓国の政治的風土では与野党合意が不可能だということを大統領は分かっていながらエサをばらまいたというのだ。「大統領のわなだ」という声もある。自身の無能さや怠惰を当然視しながら、他人に後ろ指をさすような政治家がこの世界のどこにいるだろうか。
ここで質問したい。我々韓国人にとって政治とは何なのか。一人当たり数億ウォン(数千万円)かけて国会議員300人をなぜ食わせているのか。韓国社会には政治的解決策を潔(いさぎよ)しとしない傾向がある。政治的妥協を駆け引きやごまかし程度にしか考えていない。党利ばかり追い求める政治家たちの自業自得だが、このような見方が韓国の政治の質をさらに下げている。質が低いと評価されればされるほど、政治家は自ら解決すべき問題を恥ずかしげもなく他人に転嫁する。そうすればなおのこと政治的事案を抱える法治の負担は増える。この悪循環が今、韓国を二つに引き裂き、「アスファルトが血と涙でぬれる」極限闘争まで予告されているのだ。
法治は近代国家の必須条件だ。法を尊重し、順守する意識がなければ法治は不可能である。しかし、法秩序を完成させ、維持させるのは、法治ではなく政治の力だ。したがって、法治は政治の水準を超えられない。本から学んだ学者たちのこうした卓見に、私たちは現実で気付かされる。弾劾決定や棄却の是非を問うているのではない。手続きの正当性に関することだ。国民が選んだ大統領を罷免するかどうかを、この程度の時間で決めるのは正当なのだろうか。韓国の法治は、妥協を拒否して弾劾に走った政治と何がどう違うのだろうか。
先日、法曹関係者9人が新聞広告欄で「裁判官全員参加の憲法精神を順守してほしい」と要求した。歴史的弾劾の日程を裁判官の退任予定に合わせる拙速を避けてほしいという要求だ。ほかのことはともかく、この要求には納得がいった。しかし、今回も政治だ。誰も今、韓国の政治が裁判官2人の後任人選に合意するものと期待していない。ゆがんだ政治がゆがんだ法治を生み、結局は不服と衝突の不幸な未来を予告しているのだ。政治は自身の無能さを正そうとしない。ただ最高権力という立派な輿(こし)に乗り、「血と涙のアスファルト」の上を行進しようとするだけだ。
鮮于鉦(ソンウ・ジョン)論説委員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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