ロンドン五輪体操男子の種目別跳馬で、韓国体操史上初の金メダルに輝いた梁鶴善の母、キ・スクヒャンさん(写真左)と父のヤン・グァングォンさんが、現在暮らす全羅北道高敞郡のビニールハウスの前に並んで立っている。母のスクヒャンさんは「金メダルを取った孝行息子が『新居を建てて、お父さんとお母さんの名前を刻んだ表札を掲げる』と言ってくれた」と笑顔で話した。/キム・ヨングン記者
全羅北道高敞郡のバスターミナルから田舎道を車で20分ほど走ると「ナムドンマウル会館」が見えてくる。ここからさらに未舗装道路を5分ほど歩いていくと、トウガラシやゴマの葉の畑が広がり、その横にぽつんとビニールハウスが立っている。犬がほえる中、ビニールハウスの中から背の低い夫婦が出てきた。
ビニールハウスの中に入ると、小さな部屋が一つある。7日にロンドン五輪体操男子の種目別跳馬で、韓国の体操史上初の金..
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ロンドン五輪体操男子の種目別跳馬で、韓国体操史上初の金メダルに輝いた梁鶴善の母、キ・スクヒャンさん(写真左)と父のヤン・グァングォンさんが、現在暮らす全羅北道高敞郡のビニールハウスの前に並んで立っている。母のスクヒャンさんは「金メダルを取った孝行息子が『新居を建てて、お父さんとお母さんの名前を刻んだ表札を掲げる』と言ってくれた」と笑顔で話した。/キム・ヨングン記者
全羅北道高敞郡のバスターミナルから田舎道を車で20分ほど走ると「ナムドンマウル会館」が見えてくる。ここからさらに未舗装道路を5分ほど歩いていくと、トウガラシやゴマの葉の畑が広がり、その横にぽつんとビニールハウスが立っている。犬がほえる中、ビニールハウスの中から背の低い夫婦が出てきた。
ビニールハウスの中に入ると、小さな部屋が一つある。7日にロンドン五輪体操男子の種目別跳馬で、韓国の体操史上初の金メダルを獲得した梁鶴善(ヤン・ハクソン)=20、韓国体育大学=の両親が、ここで暮らしている。両親はこのビニールハウスを「息子の名誉の殿堂」に作り変えていた。梁鶴善のメダルと写真が花柄の壁面いっぱいに飾られている。
光州広域市の貧民街で左官工や工場作業員として働き貧しい生活を送っていた両親は2年前、梁鶴善が出してくれた金と、それまでためた全財産を合わせ、高敞郡に1万平方メートル規模の畑を買った。近くには住宅用の小さな土地も購入したが、まだ家を建てる余裕がないため、畑の横にビニールで建てた仮の住まいで暮らしている。連日の猛暑で、ビニールハウスの中は釜のようにひどく蒸し暑かった。
身長159センチの梁鶴善より一回り以上小柄に見える母親キ・スクヒャンさん(43)は、はきはきとした口調で話した。「私たちがこんなにみすぼらしい生活をしていることが、息子にとってマイナスにならないかと心配した。だが息子は『全く恥ずかしくない。たくさんインタビューを受けてほしい』と言ってくれた」
■苦しかった貧困生活
梁鶴善が育ったのは、光州広域市西区にある「タルトンネ(月の町、の意。貧しい人々が丘の斜面に沿って粗末な家屋を建てた地域)」と呼ばれる貧民街だ。梁鶴善の家は、中でも最も狭い路地の一番奥にあった。すぐにでも天井が崩れ落ちそうなバラック小屋のような家に、両親と兄、梁鶴善の一家4人で暮らしていた。梁鶴善が7歳のとき、それまで住んでいた家が再開発で取り壊されることになり、町の長老が「空き家があるから」と無料で入居させてくれたのだという。
工事現場で働く父親は体調が悪く、家で横になっている日が多かった。母親は工場や食堂などで必死に働いたが稼ぎは少なく、生活保護の受給対象からは一向に抜け出せなかった。宙返りが得意だった少年・梁鶴善にとって、体操は唯一の道だった。特別な道具も必要なく、お金もさほど掛からないスポーツだからだ。学校で合宿生活を送るようになったことで寝食が保障され、時には奨学金も支給された。
そんな梁鶴善も中学生になり、思春期が訪れた。つらい練習や苦しい貧困生活から抜け出したかった。「金を稼ぐ」といっては合宿所を何度も抜け出した。
生活のために仕事に追われる両親に代わり、親身になって梁鶴善の面倒を見てくれたのが、光州体育中・高校で6年にわたり梁鶴善を指導したオ・サンボン監督だ。オ監督は、合宿練習のない週末になると、梁鶴善を自宅に招いて食事をふるまったり部屋に泊めたりした。
中学2年の冬休み、梁鶴善は「どうしても体操をやめたい」と言って姿を消した。派出所を回り梁鶴善を捜し歩いたオ監督は、慶尚北道浦項のある旅館で梁鶴善を見つけた。大雪の降る真夜中、梁鶴善を車に乗せて3時間かけて帰る途中、二人は一言も言葉を交わさなかった。その翌日、梁鶴善はひっそりと練習に復帰した。梁鶴善はその後、長い年月が過ぎてから「あのとき監督が僕を探しに来てくれなければ、どうなっていたか分からない」と打ち明けた。
■「僕の父親は農業従事者」
さまよった揚げ句、長いトンネルを抜け出した梁鶴善は、精神的にも成長した。どこに行っても弱音を吐くことのない堂々とした青年になった。泰陵選手村での1日の訓練費4万ウォン(約2800円)、月80万ウォン(約5万7000円)をためて両親に仕送りした。右肩の靱帯(じんたい)を断裂して苦しんでいる父親には、1日に何度も電話をかけて体調を気遣い、母親にはその日の出来事を詳しく話すなど、心の優しい息子になった。京畿道一山にある軍部隊に陸軍兵士として勤務する兄ハクチンさん(22)の所にも、毎週末に面会に出向いている。
昨年の世界選手権で、自分の名前の付いた最高難度の技「ヤンハクソン」を決めて優勝した際、外信記者たちに「両親も体操選手なのか」と質問されると、梁鶴善は堂々と「父親は農業従事者です」と答えた。トレーナーが通訳した「His father is a farmer(彼の父親は農業従事者)」という文章が、外信を通じて世界に報じられた。今年2月に「コカ・コーラ体育大賞」を受賞した際には、授賞式の会場でシャッフルダンスを踊り、軽快なパフォーマンスを披露した。
梁鶴善の母親は「私たちにもっとお金があれば、もう少し学があれば、息子をもっと支えてやることができたと思う」と言って悔しがった。だが、梁鶴善は「練習がつらいときには、両親の顔が思い浮かぶ。僕が目標を見失ってさまよっていたとき、何度も泣かせて年を取らせてしまったと思うと、頑張らなければと思う」と語った。母親は「私たち夫婦は飛行機にも乗ったことがない(ほど貧しい)が、息子は成功した。息子が家に帰ってきたら、大好きなラーメンを食べさせてやりたい」と話した。
崔秀賢(チェ・スヒョン)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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