▲2024年1月9日、国会本会議場であいさつを述べる金恩希議員(当時)。/news 1 ▲2024年1月9日、国会本会議場であいさつを述べる金恩希議員(当時)。/news 1

 韓国与党「国民の力」所属の国会議員だった金恩希(キム・ウンヒ)氏(34)が、任期終了後に生活苦に陥りコンビニや通販サイト「クーパン」でアルバイトなどをして日々耐えていたと告白した。金・前議員は「何も持っていない(貧しい)と落ち込む時間があるなら、その時間に何かしらできるということに感謝すれば、今日も、そして明日も幸せになれる」と話した。

 金・前議員は13日、自身のフェイスブックに「この文章を書くまでに、たくさんの勇気と時間が必要でした」と長い文章を投稿した。テニス選手出身の金・前議員は、小学校の時にコーチから性的暴行を受けたことを明かし「スポーツ界のMeeToo(ミートゥー、権力型性犯罪を告発する運動)1号」と呼ばれた。自由韓国党(国民の力の前身)に若手の人材として迎えられ、2024年1月に比例代表選出の許垠娥(ホ・ウンハ)議員(当時)が改革新党に鞍替えしたのを機に国会議員職を引き継いで、昨年5月29日まで議員職を遂行した。

 金・前議員は「これまでの7カ月、一日一日が地獄のようにつらく不安でしたが、がむしゃらに頑張って耐えました」「失敗したくありませんでした。必ず乗り越えて、頑張ればうまくいくということを示したかったのです」とつづった。

 金・前議員は、国会議員の任期を終えて昨年6月にテニスのコーチとして復帰したが、本業に集中できなかったという。国民の力全党大会(党代表選挙)に出馬し、これまでできなかった趣味活動にも取り組み、長年の夢だったボランティア活動にも従事したという。活動の幅が広がったことでテニスコート事業が困難になり、財政状態を把握したときには既に運営が不可能な状態に陥っていたと明かした。

 金・前議員は「財政状況が改善しない中、心配と不安で不眠症になりました」として「どうせ目を開けたまま夜を明かすのなら、その時間にお金を稼いだ方がいいと考え、深夜のアルバイトを始めました」と明かした。さらに「テニスのレッスンがない深夜や週末にコンビニでのアルバイト、クーパンヘルパー(クーパンの物流倉庫の作業員)のアルバイトをして必死に頑張りました」「1週間に基本的に2-3日は30時間以上寝ずに過ごすことがほとんどで、最大84時間全く寝られなかったこともありました」と説明した。

 金・前議員は、アルバイト中に涙を流した日もあったという。金・前議員は「深夜のコンビニでアルバイトをしていた時、同じ建物にあるビリヤード場の社長と顔を合わせました。何事もないように会話を交わし、社長が去った後で一人でしばらく泣きました」「『前・国会議員』という肩書きがあまりにも重く、とにかく押しつぶされそうでした」とつづった。

 そうしてコンビニでたばこを補充し、クーパンの物流倉庫で仕分けやスキャンなどの作業をしながら7カ月を耐え抜いた結果、金・前議員は「今では、平日はアルバイトをする余裕がないほど、テニスコートの運営が改善しました」と説明した。

 金・前議員は「アルバイトを本業としている人たちの生活を考えると、毎月納めなければならない税金や必須の支出だけでも100万ウォン(約10万1700円)をはるかに超えます」とした上で「国家の責任とは、合法的な仕事をして一生懸命に稼ぐ人々が安全に資産を増やせるよう支援し、階層のはしごを上っていけるよう後押しすること」と強調した。

 その上で「より良い未来のために多くの努力を重ねて懸命に働く人々には、より大きな報酬と機会が与えられるべきで、ぜい弱な環境に置かれた人々には、国家と国民が共に温かい手を差し伸べ、温かい心を分かち合わなければなりません」と主張した。

イ・ガヨン記者

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