コラム
政権が変わるとなぜ「いなかったスパイ」が捕まるのか【朝鮮日報コラム】
12月3日以降の非常戒厳令政局を通じ、これまで忘れられていた複数の人物の過去に改めて注目が集まっている。その代表的な人物が野党・共に民主党の朴善源(パク・ソンウォン)議員 だ。「逮捕者リスト」を公表し、韓国軍司令官らに圧力を加え内乱フレーム形成の先頭に立った朴善源議員はかつて従北容共団体のメンバーだった。延世大学で「三民闘争委員会」の委員長だった1985年、米国文化院占拠事件を背後から指揮した罪で刑務所で服役した。後に英国に留学し、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権で青瓦台(韓国大統領府)行政官として初めて公職に就き、その後も哨戒艦「天安」爆沈について「北朝鮮の犯行ではない」と主張するなど、何度も騒動を起こしてきた人物だ。
特に注目されるのは朴善源議員が国家情報院に在職していたという事実だ。文在寅(ムン・ジェイン)前政権は政権2年目に朴善源議員を国家情報院長特別補佐官に任命し、その後も4年にわたり企画調整室長、第1次長などを任せた。この分野には多くの専門家がいるにもかかわらず、従北活動家で国家保安法違反の前科者をスパイ対策を担当する国家情報院の幹部にあえて起用したわけだが、これはどう考えてもピント外れでかつ安全保障に反する人事と言わざるを得なかった。実際に朴善源議員の在職中に国家情報院は過去のどの政権よりもスパイの検挙数が少なかった。スパイ対策が主な任務の国家情報院が、北朝鮮との対話と協力を掲げたほどだ。
尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権発足後は突然スパイ関連の事件がせきを切ったように相次いだ。慶尚南道昌原では北朝鮮工作員から資金提供を受け忠誠を誓約した「自主統一民衆前衛スパイ団」の4人、済州では北朝鮮の指令を受け利敵組織の結成を目指したスパイ団「ヒウッ・キヨック・ヒウッ(HKH)」の3人が検挙された。「ブラック要員」の個人情報を中国に提供した情報司令部の機密流出事件、3人の中国人が米空母をドローンで撮影した事件なども摘発された。中でも衝撃だったのは全国民主労働組合総連盟(民主労総)の前職・現職幹部6人が検挙された事件だった。
国家情報院による民主労総スパイに対する捜査はまさに映画にも勝るものだった。民主労総組織争議局長だったS氏と共犯らは2017年からカンボジア、中国、ベトナムで北朝鮮工作員と何度も接触し、対面で指令を受けていた。国家情報院の担当者らは彼らの動きを追跡し、3回にわたり北朝鮮工作員との接触現場撮影に成功した。絶対に言い逃れできない物証を確保したのだ。
国家情報院が裁判所に提出したベトナムで撮影した動画にはこれらの様子が記録されていた。2019年8月某日午前9時55分、約束場所のハノイ市内ホアンキエム湖の銅像右側階段に民主労総幹部らが現れた。10時ちょうどに事前の約束通りS氏がペットボトルの水を飲んでシグナルを送ると、周辺にいた北朝鮮工作員がサングラスを外し拭く動作で反応した。互いを確認した双方はホテルに移動した。これら全ての状況が尾行していた国家情報院担当者のカメラでしっかりと撮影されていた。
暗号解読のプロセスも劇的だった。国家情報院はS氏のパソコンを押収したが、1カ月半にわたり暗号コードを発見できなかった。ある日の深夜、「rntmfdltjakfdlfkeh…」と記載された文字列が文書ファイル確認作業をしていた担当者の目にとまった。キーボードをハングルに変えてこの英文を打つと「真珠は三斗でもつないでこそ宝だ(玉磨かざれば光なし)」という言葉が出た。鍵を見つけだした瞬間だった。国家情報院は北朝鮮が機密情報を送る際のステガノグラフィー(データの中に別の情報を埋め込んで隠蔽(いんぺい)する技術)まで解析に成功したのだ。
暗号解読で明らかになった90件以上の指令は衝撃的だった。北朝鮮は青瓦台など国家機関の送電網システム、華城と平沢の軍事基地、発電施設やエネルギー関連施設などに関する機密情報の収集を指示していた。「民主労総建設産業連盟の組合員らを取り込んで資料を確保せよ」などとその方法まで伝えていた。国内外で大きな事件が発生すれば、そのたびに政治的な指令も下されていた。福島原発汚染水問題では「反日民心をあおり日本のやつらを刺激せよ」、梨泰院雑踏事故では「セウォル号のように怒りを噴出させる契機とせよ」などの指示があった。
S氏らは金正恩(キム・ジョンウン)総書記に対する忠誠の誓いも5回作成し北朝鮮に送付していた。その内容は「敬愛する金正恩同志」「首領様と将軍様の思想を光り輝く形で継承」「代を受け継いで決死擁衛する」などだ。北朝鮮にとどまるべき主体思想の奴隷たちが韓国の巨大労働団体に身を隠しスパイとして暗躍していたのだ。文在寅前政権の傍観とけん制を受けながらも、執拗に追跡を続けた国家情報院担当者の献身的な仕事がなければ解明できなかった事件だ。
政権が変わったとたんに、これまで存在しなかったスパイが突然発生するなどあり得ない。スパイがいなかったのではなく、捕らえなかっただけだ。文在寅前政権当時、国家情報院では現場の担当者がスパイ捜査報告書を提出すれば、幹部らは休暇などを口実に決裁しないことがよくあったとの証言もある。重要な文言を削除し捜査を妨害するケースまであったという。それだけではない。共に民主党は国家情報院のスパイ捜査権を剥奪(はくだつ)する法案まで強行採決した。もしこの法律が数年前から施行されていれば、民主労総のスパイや昌原・済州のスパイグループはその存在さえ永遠に分からなかったかもしれない。
戒厳令を「大韓民国を破壊する犯罪」とし、憲法守護を訴える共に民主党はどういうわけかスパイ問題ではあいまいな態度を取ってきた。今の弾劾政局の渦中に改めて共に民主党の「過去」を思い起こしたという国民も多い。
朴正薫(パク・チョンフン)論説室長