防衛産業輸出の扉を開き、チーム・コリアがチェコ原発建設事業の優先交渉対象者に選ばれた時は、子供のようにうれしかったです。

 残念だった瞬間も思い出します。企業と国民に必ず必要な法案は際限なく後回しにされ、拒否権を行使せざるを得ない違憲的法案、核心的な国益に反する法案が野党単独で国会で早々と通過する時は本当にもどかしかったです。

 国防、治安、民生のために必ず必要な「アキレス腱(けん)予算」が削減された時は途方に暮れました。

 今、私はしばらく立ち止まっていますが、多くの国民、特に青年たちは大韓民国が直面した状況を直視し、主権を取り戻して国を守るため行動を始めています。非常戒厳の目的が、亡国的な危機状況を知らせて、憲法制定権力である主権者たちの行動を促すよう訴えることだったのですが、この点においてだけでも、非常戒厳の目的を相当部分成し遂げたと思います。私の真心を理解してくださるわが国民、青年たちに心より感謝の言葉を申し上げたいと思います。

 私が職務に復帰することになれば、のちに再び戒厳令を宣布するという主張もあります。とんでもない話です。戒厳の形式を借りた国民への訴えによって、すでに多くの国民と青年が状況を直視して国を守る行動を始めていますが、戒厳を再宣言する理由がありますか? 決してそんなことはないでしょう。

 憲法裁判官の皆さま。これまで審判廷で扱われてきた争点のうち、二つの争点についてだけ簡略に申し上げたいと思います。細かい事実関係に言及するよりも、常識の線で簡単に申し上げます。

 まず、私が国会議員を逮捕しろ、本会議場から引っ張り出せと言ったという点です。本当にとんでもない主張です。常識的にこんなことをして、一体何をどうするのですか? 議員を逮捕して引っ張り出して戒厳解除を遅らせたり防いだりしても、放送を通じて全国民と全世界が見守っているのに、その次に何をどうするというのですか? 戒厳当日の国会議長の発言の通り、国会はどこでも本会議を開いて、戒厳解除を議決することもできます。

 映画や小説には出てくることもありますが、現実的にこのようなことをするためには、軍で国家を完全に掌握する計画と政治プログラムをあらかじめ持っていなければなりません。しかし、実際の状況はどうでしたか?

 戒厳事務を担当する主要指揮官は非常戒厳直前にどこにいたのか、審判廷証拠調査で全て明らかになりました。長官の裁可を受けて地方へ休暇に行ったり、夫婦同伴で夕食したり、幹部夕食会をしたりしており、戒厳が宣言された直後に国防長官から業務指示を受けました。準備された緻密な作戦計画や指針がなかったため、混乱と手抜かりもありました。

 国防部(省に相当、以下同じ)長官も指揮官も経験豊富な軍事専門家なのに、なぜこうなったのでしょうか? 12・3戒厳宣布は戒厳の形式を借りた国民への訴えであり、過去の戒厳とは異なるものであったためです。すでに民主主義を数十年経験して、身に染み込んでいる50万の韓国軍が、任期5年の単任大統領の私兵の役割をするはずがあるでしょうか?

 私が非常戒厳を宣布した理由は、ひとえに主権者である国民に国会の亡国的独裁で国が危機に陥っていること、そしてこれを直視して監視と批判のけん制を直接してほしいということでした。共和国の代議制危機にあって、憲法制定権力である主権者が直接行動を始めてほしいという訴えでした。

 議員を逮捕しろとか引っ張り出せと言ったという主張は、国会に280人の秩序維持兵力だけを連れていった状態では、まったくつじつまの合わない話です。国会が空いている週末でもなく、会期中の平日にこんな兵力で(議員の逮捕や排除を指示したという主張は)本当にとんでもない話です。国会議員だけで300人で、国会職員と議員スタッフを合わせると数千人を超えます。テレビの生中継を見ても、戒厳宣布後まもなく、国会の敷地内と本館には数千人の国会関係者と民間人が入ってきました。実際に戒厳宣布から1時間30分が過ぎてようやく秩序維持兵力が到着し、国会の敷地内に進入した兵力は106人、本館に入った兵力はわずか15人なのに、このようにごく少数の兵力を投入して国会議員を逮捕して引っ張りだせというのが話になりますか?

 その上、「議決定足数が満たされていないので本会議場に入って議員たちを引っ張り出せ」と言ったとのことですが、議決定足数が満たされていなかったのであればこれ以上入れないよう防がないといけないので、引っ張り出すことは常識に反します。(国会議事堂)本館に進入した軍人たちは本会議場がどこかも知らなかったそうです。何一つ話になりません。一人も引っ張り出されたり、逮捕されたりしたことはなく、軍人が民間人に暴行されたことはあっても、(軍人が)民間人に暴行を加えたり、危害を加えたことはただの1件もありませんでした。

 実際に起きてもいないし起きることもできない、不可能なことについてこんな主張をするのは、前回もお話ししましたが、それこそ水中の月影をすくい上げようとするような、荒唐無稽なものです。

 巨大野党は、大統領の憲法上の権限に基づいて宣布された戒厳を不法内乱に化けさせて、弾劾訴追を成功させました。そして憲法裁の審判では弾劾事由から内乱を削除しました。まさに史上初の「詐欺弾劾」と言わざるを得ません。

 内乱か内乱でないかは、長い時間の複雑な審理によって決まるものではありません。内乱か内乱でないかは判例にあるように、実際に起きたことと進行の過程で明らかになった結果で判断するものであり、誰が見ても容易にすぐに理解できるからこそ内乱と言えるのです。巨大野党と(国会)訴追団が憲法裁の審判対象から内乱を削除した理由は、審理時間を短縮させようとするのではなく、内乱の実体がないからです。

 しかも12・3戒厳は発令から解除まで歴史上最も早く終結した戒厳です。そうしているうちに戒厳司令部組織も構成されず、隷下捜査本部組織も作られないまま、そのまま戒厳が終了しました。わずか数時間、平和的に進められた戒厳令を内乱と見ることはできないのです。

 続いて、非常戒厳国務会議(閣議に相当)について簡単に申し上げます。

 戒厳当日の国務会議は国務会議とは見なせないという主張があります。しかし、国務会議の開催ではなかったのであれば、12月3日の夜に国務委員が大統領室に来た理由をむしろ私が聞きたいです。国務会議ではなく懇談会程度だったという主張もありますが、その日の状況は懇談会を開催する状況ですか? 懇談会は議事定足数もないのに、なぜ国務会議の議事定足数が満たされるまで待ったのでしょうか?

 当日の夜8時30分から国務委員(国務大臣に相当)が次々と出席し始めて、私は国務委員に非常戒厳について説明し、国防長官が戒厳の概要の記載された非常戒厳宣布文を配りました。国務委員たちは経済的、外交的に困難があり得ると憂慮し、私は大統領として各省庁を管掌する国務委員たちの考えと異なる考えを持っており、国家が非常状況にあって非常措置が必要であることを説明しました。そして、各省庁の長官の懸念事項、例えば経済副首相の金融市場混乱についての憂慮と外交部長官の友好国関係への憂慮は心配するなと言いました。国務委員が過去の戒厳を連想しているので、私は心配するなと言ったのです。

 議事定足数充足後、国務会議の時間は5分でしたが、その前にすでに十分議論しました。翌日早朝の戒厳解除国務会議の所要時間はたった1分でした。普段の定例・週例の国務会議の場合でも、冒頭発言、締めくくりの発言などを行って多くの案件を扱うため1時間ほどかかりますが、個別案件の審議時間は極めて短いです。

 また、非常戒厳のための国務会議を定例・週例の国務会議のように行うことはできません。保安維持が重要で、そうすることで混乱も減らし、秩序維持兵力も最小化できるからです。行政安全部の李祥敏(イ・サンミン)前長官は先日の審判廷で「国務会議に100回余り参加したが、今回の国務会議のように実質的に熱い討論や意思伝達があったのは初めて」と証言しました。国務会議に陪席するために秘書室長や安保室長も通常通り大統領室に来るよう指示しましたし、国家安保の問題でもあることから国家情報院長も出席させました。

 1993年8月13日、金泳三(キム・ヨンサム)大統領が緊急財政経済命令で金融実名制を発表した当時も、国務委員は招集直前まで発表するという事実自体を知らず、国務会議録も事後作成されました。その時の状況は当時の李仁済(イ・インジェ)労働部長官がすでに公に説明なさったことがあります。しかし、誰もこの件について国務会議がなかったとは言っておらず、当時の憲法裁判所は緊急命令の発動を全て合憲と判断しました。

 その他のさまざまな争点については弁護団の弁論で代えさせていただきます。

 憲法裁判官の皆さま、そして国民の皆さま。私は「いつかしなければならず、誰かがしなければならないことであれば、今私がやります」という気持ちで大統領職を遂行してきました。

 そうして任期前半の間、歴代政権が票を失うことを恐れてできなかった教育・労働・年金の3大改革を中心に、国政改革課題を果敢に推進しました。30年間遅々として進まなかった幼稚園と保育所の統合に向け第一歩を踏み出し、ヌルボム学校(学童保育)と融合・複合高等教育、そして地域産業との連係強化のための果敢な権限移転など教育改革の基礎を準備しました。労使法治の枠組みを刷新し、第4次産業革命時代に適応するための労働の柔軟化と労働者保護の労働改革の扉も開きました。国家的な難題であった年金改革も、歴代政権で初めて膨大な数理分析と深層世論調査を実施して、受容性が高い案を立てて国会に提出しました。

 大統領任期の初めには国民と有権者に約束した公約や国政課題の実践、民生に影響が大きい社会改革の推進が優先ですから、こうしたスケジュールに合わせて働いてきたわけです。

 どの政権も任期初期には選挙公約や国政課題の履行が優先されますので、政治改革には気を使う余力はありません。

 そうしているうちに前の大統領たちの5年任期はすぐに過ぎて、変化した時代に合わない1987年体制が依然として維持されています。政治が国民を不自由にして、国家の発展を妨げています。また、国家の未来を決定することに、未来の主役である青年たちが参加できるよう、政治と行政の敷居をさらに低くしなければなりません。

 私が職務に復帰することになれば、まず1987年体制を私たちの体に合わせて、未来世代にきちんとした国を譲るための改憲と政治改革の推進に、任期後半を集中しようと思います。

 私はすでに大統領職を始めた頃から、任期半ば以降は改憲や選挙制など政治改革を進めるという計画を持っていました。現職大統領の犠牲と決断なしには憲法改正と政治改革ができないので、私がこれをやり抜こうと思ったのです。私は多くの元大統領が候補時代に公約しても履行できなかった青瓦台の国民返還も、当選直後すぐさま推進し、履行しております。

 残りの任期に未練がましく執着せず、改憲と政治改革を最後の使命と考え、1987年体制の改善に最善を尽くしたいと思います。国民の意思をくんで速やかに改憲を進め、韓国社会の変化にうまく合う憲法と政治構造を誕生させることに全力を尽くします。

 改憲と政治改革の過程で、国民統合を成し遂げることにも努力を尽くします。結局のところ、国民統合は憲法と憲法の価値を通じて行われるだけに、改憲と政治改革が正しく推進されれば、その過程で離れ、分裂した国民が統合されると信じています。そうなれば、現行憲法上、残りの任期にこだわる理由がなく、むしろ私にとっては大きな光栄だと思います。

 そして、国政業務については、急変する国際情勢とグローバル規模の複合危機という状況を踏まえて、大統領は対外関係に重点を置き、国内問題は首相に権限を大幅に移譲しようと思います。

 韓国経済は、他のどの国よりも対外依存度が非常に高いです。特に米国のトランプ政権発足後の国際秩序の急変やグローバル経済、安全保障の不確実性に大きく影響を受けるほかありません。今、私たちが国家路線をどう選択するかによって、危機が機会になることもあり、取り返しのつかない災難に遭うこともあります。

 グローバル中枢外交の基調として、歴代最も強力な韓米同盟を構築して韓米日協力を引き出した経験を基に、対外関係で国益を守ることにまい進します。

 尊敬する憲法裁判官の皆さま。まず、切迫した日程の弾劾審判でしたが、充実した審理に努めてくださった憲法裁判官の皆さまに深く感謝申し上げます。

 今回の審理は、内乱罪を事由とした弾劾訴追から内乱罪削除を主導した訴追団側(韓国国会)が提示した争点を中心に行われ、そのため私が12・3非常戒厳を宣布した理由とその不可避性については、十分に説明する時間が足りなかったと思います。書面で誠実に関連資料を提出しましたので、大統領として苦悩の決断をした理由を深く考えることをお願い申し上げます。

 また、多くの国家機密情報を扱う大統領として、裁判官の皆さまに全て説明できない部分にまで、裁判官の皆さまの知恵と慧眼(けいがん)が及ぶと信じています。

 重ねて裁判官の皆さまのご尽力に感謝いたします。

 愛する大韓民国の国民の皆さま。国家と国民のための戒厳でしたが、その過程で大切な国民の皆さまに混乱と不便をおかけした点、心より申し訳なく思います。

 私の拘束過程で起こった出来事で、困難な状況に置かれている青年たちもいます。その正否はさておき、非常に心が痛みます。申し訳ありません。本当に申し訳ないと思っています。

 私は大統領選挙に出馬する際、国のために命をささげると決心しました。

 12・3戒厳令と弾劾訴追以後、雪が降る厳しい寒さのなか、私を守ろうと街頭に出た国民を見ました。私を批判し、叱責(しっせき)する国民の声も聞きました。互いに異なる主張をしていますが、皆大韓民国を愛する気持ちからだと考えます。

 至らない私を今まで信じてくださり、応援を送ってくださっている国民の皆さまに心より感謝申し上げます。私の過ちを叱る国民の叱責も胸に深く刻みます。

 そして、この全ての過程が新しい大韓民国に跳躍する土台になるよう、全ての努力を尽くします。ありがとうございました。

キム・ギョンピル記者

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