▲イラスト=UTOIMAGE

 いつものように、またしても静かになった。女優のキム・セロンさんが24歳でこの世を去って、既に半月がたつ。数日間は「私たちがひどすぎた」「誹謗(ひぼう)中傷が犯人だ」「悪質なユーチューバーとイエロー・ジャーナリズム(扇情的な内容で読者の目を引く報道スタイルやメディア)の責任だ」などと叱咤(しった)の声が相次いでいたが、また静かになってきた。いつものことだ。

 誹謗中傷のコメントに対し、「死ななければ止まらない手」という非難の声が高まった。そして、対応策として法的処罰と、いわゆる「金融治療(罰金や賠償金などで懲らしめること)」を求める声が上がる。もっともなことだ。もちろん処罰も強化すべきだし、賠償金も払わせるべきだ。しかし、この「悪質な手」の裏には、ビッグブラザーの存在があると考える。つまり、ビッグテック(巨大IT企業)のアルゴリズムだ。怒りと嫌悪を利用したビジネスによってユーチューバーと芸能メディアをたきつける、真の犯人のことだ。

 現代の東南アジア社会で、最大2万5000人が殺害され、6万人が性的暴行を受け、73万人が追放されるという民族掃討事件があった。仏教の国ミャンマーに住むイスラム教徒の少数民族、ロヒンギャ族の話だ。2018年の事件当時、フェイスブック社(現:メタ)の創業者ザッカーバーグ氏が、米上院の聴聞会に出席し、責任を認めたという事実は既に広く知られているが、具体的にどのようなアルゴリズムがこの悲劇を生んだのか覚えている人は多くないだろう。

 プラットフォームを持つビッグテックのアルゴリズムの第一原則は「ユーザーの参加を最大化すること」だ。ただ単に長時間利用させるだけではない。「いいね」の回数や投稿の共有行為まで含まれる。理由は明白だ。シェア拡大と、その結果である広告収益の最大化。インターネットを利用するためのSIMカードの価格が2ドルほどまで下がると、人口5000万人のミャンマーでフェイスブックのユーザーが1800万人に急増した。当時、この国ではフェイスブックが「メディア」そのものだった。フェイスブックは2016年に「インスタント記事」制度を導入した。簡単に言えば、閲覧数やクリック数に応じて制作者に報酬を与えるシステムだ。結果はどうなっただろうか? その直前まで、ミャンマーのインターネット・ニュースサイトでは上位10社のうち6社は合法的な政論紙だったが、2年後には、トップ10は全てフェイクニュースまみれの釣り記事メディアに占拠されてしまった。

 残念ながら、私たちは二つの顔を持つ存在だ。匿名に隠れることができるなら、理性を司る前頭葉よりも、衝動や感性を優先する辺縁系の奴隷になってしまう。軍事独裁が終わり、民主化の風が吹いたミャンマーで、政治勢力や宗教同士の小さな衝突が始まった時、フェイスブックはミャンマー国民の前頭葉ではなく、辺縁系をつないでしまった。イスラム教徒を受け入れた善良な僧侶の美談はニュースフィードの目立つ部分から見えない部分へと追いやられ、暴力・殺人・民族浄化を叫ぶ過激派の動画だけが無限に共有された。その結果が、先に言及した恐ろしい数字の数々だ。

 メタ社のザッカーバーグ氏やネイバーの李海珍(イ・ヘジン)氏は、納得できないかもしれない。ロヒンギャ族の存在すら知らなかったかもしれないし、映画『アジョシ』の少女(故キム・セロンさん)が大人になったことも知らなかったかもしれない。しかし、「ユーザーの参加を最大化すること」は、その当時も今もビッグテックのアルゴリズムの第一原則だ。紙の新聞など、いわゆるオールドメディアがこの女優の私生活を記事にせず、品位を落とすことを避けている間に、収益創出を夢見るユーチューバーやネットメディアは「飲酒運転で自粛中に酒盛り」「セルフ熱愛説、鳥肌ものの言動」といったヘイトコンテンツを量産していった。

 SNS(交流サイト)やビッグテックのプラットフォームの必要性を否定するわけではない。より積極的な自浄装置とアルゴリズムの修正が必要だと言っているのだ。メリットはたくさんあるのに、今のユーチューブとX(旧ツイッター)とフェイスブックとTikTokは「真実を奨励するのではなく、フェイクと虚構に褒賞を与える誤った増幅装置」(ユヴァル・ノア・ハラリ著『NEXUS 情報の人類史』)に近い。

 好きな逸話に、5歳の少年と父親によるゲームのエピソードがある。ゲームで負けた少年のパソコン画面に「fail(失敗)」という表示が出る。英語の意味を理解しているのか気になった父親が尋ねる。「お前、failがどういう意味か知ってるのか?」。すると、少年は無邪気に笑いながら答える。「うん、パパ。『もう一回やれ』って意味だよ」

 失敗ではなく、もう一度やれ。一度転んでも再び立ち上がれる社会。再起が可能になるよう「悪魔のアルゴリズム」を変えなければならない。恐竜が自分の首に鈴を付けることはできない。法と政治が圧力を掛け続けなければならないのだ。

魚秀雄(オ・スウン)記者

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