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捕虜の21歳北朝鮮兵「私が戦場にいることを知らない独り身の母、会いに帰りたいけど…」本紙特派員インタビュー第2弾(後編)【独自】

-今所属している部隊は「暴風軍団」ですよね。
「そうとも言えます」(ペク兵士は、「暴風軍団は誰でも入れる部隊ではなく優秀な人材だけが選ばれるそうだが」と尋ねると「そうとも言えます」と答えた。インタビューの最後にあらためて所属を尋ねると、正確な所属は「偵察局」と明かした)

-高校を卒業してすぐに入隊したのですか。
「もちろん大学に先に行くこともできましたが、先に軍隊に行って、軍隊で経歴を積んでから大学に行くことにしました」
ペク兵士はロシアに「(昨年)11月」にやって来たと話した。クルスクに来た日付は「1月…1月3日」と覚えていた。クルスクに着いてわずか1週間後の1月9日に負傷して捕虜となったのだ。
-ロシアに来る前に、意志を尋ねられるとか、同意するというプロセスは全くなかったのですか?
「ありませんでした」
-クルスクに投入されて、どうでしたか。
「とにかく生まれて初めて外国に来たので、戦闘に参加するまでは気持ちがフワフワしていたというか…。怖いのは…すぐそばで(戦友たちが)倒れるのも見えるし…。それでも何が怖いのかも分かっていなくて」
-一緒に生活していたのは何人ぐらいだったんですか。
「10人ぐらいで…。(一緒にいた兵士たちが)負傷して搬送されたり、戦死したり…。残ったのは半数もいませんでした」
-こんなに北朝鮮軍から多くの犠牲者が出るとは予想していましたか。(ウクライナの情報当局は北朝鮮が約1万2000人を派兵し、そのうち4000人が死亡したか負傷したとみている)
「はい。戦争ですから。どうしても犠牲が…」
-戦闘用ドローン(無人機)が現れたらどのように対応していたんですか。
「撃ち落とすことに。ロシア軍が戦闘の経験談とか、そういうことを聞かせてくれたんですが、その…無人機のせいで多くの被害を受けたと言っていたんですよ。そして、無人機への対応としては、隠れ場所に入るか、無人機を避けて逃げるとか、そういう経験を(ロシア軍は)話してくれたんですが…私たちの軍隊はそうするんじゃなくて、撃って全部落下させたんです」
-最初から、そうするよう教育されたんですか。
「教育を受けたというよりも、我が朝鮮(北朝鮮)の軍隊は概ね射撃の腕がいいので全部撃ち落とすことができたんです」
昨年12月、ウクライナ軍は戦死した北朝鮮兵の手帳が見つかったとした上で、北朝鮮兵が「おとり」としてドローンをおびき寄せ、残りの人がドローンを打ち落とすという戦術を使っていると明かしていた。しかし、「1人がドローンをおびき寄せて別の兵士が撃ち落とすという話も聞きましたが」と尋ねると、ペク兵士は「それは初めて聞きました」と話した。ドローンが速すぎて命中させるのが難しいのではとの質問には「無人機を撃つのは簡単です」とも言った。
-戦場で過ごすのはどうでしたか。
「食べ物や着るものについては全く不自由しません」
-お母さまのために早く北朝鮮に帰りたいとも思いますか。
「それはもちろん…(寂しそうな笑み)」
-もともと除隊したら将来の希望は何だったんですか。
「除隊して大学に行って、いわゆる幹部とか…そういう仕事をする夢を抱いていたんですが、企業みたいなものを運営する…」
-今後はどうしたいですか。
「(しばらく考えてから)もちろん、一番目は故郷に帰りたいという思いが…」
-お母さまのことがとても心配だからですよね。それから?
「もしも、それができない場合は(一呼吸置いてから)それができない場合は…考えているところです」
-大韓民国に行くことについても考えてみましたか?
「故郷に帰れない場合は、それも考えて…」
-お母さまは何を望むでしょうか。
「(ゆっくりとうなずきながら)親の心情としては、息子がどこで暮らそうと、幸せにしていれば親も満足するでしょうけど、私の現状を考えると、親の状況も分からずにこうして自分だけ幸せになるのは気が引けるし…」
-お母さまと離れる時、胸がとても痛んだでしょうね。
「はい」(唇を固く結ぶ)
キーウ(ウクライナ)=鄭喆煥(チョン・チョルファン)パリ特派員