▲グラフィック=キム・ヒョングク ▲グラフィック=キム・ヒョングク

【2】21歳の小銃手、パク兵士

【編集者注】本紙は今回、捕虜となった北朝鮮兵へのインタビューを報道するに当たり、兵士の実名を記載せず、また身元を推定できるような一部の具体的な情報も明かしておりません。これは、戦争捕虜に関する国際法の規定などにより、捕虜の人権を保護するための措置です。しかし写真と映像については、すでにウクライナ政府が2人の顔を何度も公開しており、1カ月以上にわたって世界的に拡散されていることから、モザイク等の処理は意味がないと判断し、編集会議を経てモザイクなしの写真と映像を使用することといたしました。本紙が公開した北朝鮮兵の身元関連情報の中には、ウクライナ軍が公開していない事実はございません。

 ロシアの侵攻に抵抗して戦争を繰り広げているウクライナ軍は先月9日、ロシアに派遣された北朝鮮兵2人を捕らえて捕虜としたが、本紙は最近、ウクライナのある捕虜収容所で2人と面会した。捕虜となった北朝鮮兵にメディアがインタビューするのは本紙が初めてだ。

 小銃手のペク兵士(21)は、先に本紙にインタビューが掲載された偵察・狙撃手のリ兵士(26)の部屋から一つ置いて隣の部屋に収容されていた。名前を呼べば聞こえるほど近い距離だが、2人は互いの存在を全く知らなかった。ペク兵士に「捕虜になった他の北朝鮮兵について聞いていますか」と尋ねたところ、目を大きく見開いて「知らない。聞いていません」と答えた。

 先月、ウクライナ軍が公開した映像で両手に包帯を巻いていたペク兵士は、その後公開された複数の尋問映像で最も頻繁に登場した人物でもある。もう一人の捕虜であるリ兵士が顎を負傷し、しばらく会話が困難だったためだ。しかしペク兵士は銃で撃たれて左の脛骨が砕けるという重傷を負い、手術を受けて動くことができない状態だった。金属製の固定器具を利用して外から骨を固定している様子がうかがえた。

 ペク兵士は「そんなに動き回ることはできません。(トイレなど)用を足すときはこの中で全て済ませます」と話した。以前の映像と比べると、手に巻かれていた包帯は既になく、血色も良くなっているようだった。セーターはウクライナ軍が公開した映像で着ていたものと同じだった。ペク兵士はウクライナが初めて公開した映像で「ウクライナの人たちは皆、いい人たちですか? ここに住みたい…」と話していた。

 入隊して10年になるというリ兵士とは異なり、ペク兵士は所属分隊に転入したばかりの新兵だった。2021年5月に入隊し、3年間の訓練を経て、自隊(偵察総局)に配属されて5カ月たった昨年12月に暴風軍団(北朝鮮の精鋭部隊)の所属としてロシアに派遣されたと話した。出発前に聞かされていたのは「訓練を実践のように実施するため」ということだけだった。派兵に関する説明や同意などのプロセスは「なかった」という。

 ペク兵士は、「韓国から来た記者」だと話すと、淡々と「お会いできてうれしいです」と言った。質問に対しては、しばらく考えてから言葉を選ぶように話し、「エリート軍人」のプライドを見せることもあった。しかし、故郷に一人残してきた母親(50)の話をすると目が赤くなり、将来の計画は企業家になることだと言った。そんな夢を語る21歳のペク兵士は、親思いの平凡な韓半島の若者でもあった。以下はペク兵士との一問一答だ。

-以前、写真を見たら手に包帯を巻いていましたが、手はもう大丈夫なんですか。

 「あ、あれは、その、そうでは(負傷したからでは)なくて、ええと、…万が一のことがあるかもしれないから」

-もしかしたら、良くない決心をするかもしれないからですか?

 「はい」(北朝鮮軍の兵士は捕虜になったら自爆するよう教育されている。ペク兵士は「もうそんなことは考えていないですよね?」との質問に、静かにほほ笑むだけだった)

-初めてここに来た時のことを覚えていますか。

 「よく覚えていません。(生き残ったという)安堵感というものよりも、とにかく自分が捕虜になったため、その精神的圧迫感のほうが大きかったです」

―捕虜になったらどうするよう教育を受けましたか。

 「(沈黙)」

-ご両親にとても会いたいでしょう。

 「はい…」

-お2人ともお元気なんでしょうか。兄弟や姉妹は。

 「母だけなんです…。(きょうだいは)いません。父は私が軍隊に入る年に…。具合が悪くなったので治療も受けていたんですが。そうなりました(亡くなったという意味)。その時は私が軍隊に入隊する前だったので。軍隊に入る前の月に…」

-お父さまはどんなお仕事をされていたんですか。

 「医師でした」

-軍で生活をしていて、お母さまには頻繁に会えたんですか。

 「いいえ」(一度も会えなかったのかと聞き返すと、ペク兵士は「はい」と答えた。何年間だったのかと尋ねると「今年でもう4年…」と話した。母親はロシアに来ていることも知らないのかという質問にも「はい」と答えた)

(後編に続く)

キーウ(ウクライナ)=鄭喆煥(チョン・チョルファン)パリ特派員

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