話題の一冊
「物資の補給路」海を制する者が勝利する【朝鮮日報】
【新刊】クレイグ・L・シモンズ著、ナ・ジョンナム訳『第2次大戦海戦史』(本と共に社刊)
1939年10月、ギュンター・プリーン艦長指揮するドイツの潜水艦U47はスコットランド北部のスカパ・フローに忍び込んだ。「海岸を背にして浮いている、黒いインクで空を塗ったかのように硬く澄みきったシルエットは、まぎれもなく英国海軍の戦艦の輪郭だった。(中略)静かにハッチを降ろすや、開放されたチューブに水が流れ込み、圧縮空気が『シュッ』と音を立てた」
著者が米海軍兵学校の名誉教授で著名な海軍史の専門家だからといって、この本(原題は『World War II at Sea』)が野戦教範のように堅苦しいわけではない。第2次世界大戦初期のドイツ潜水艦の英国海軍基地襲撃を描写した上の場面のように、細密画を見ているかのような巧みで文学的な記述が、およそ1000ページもある本書を貫いている。
ドイツの「Uボート」の活躍からダンケルク撤収、真珠湾攻撃、ノルマンディー上陸作戦を経て硫黄島の戦いまで、海戦の視点から第2次世界大戦(1939-45)に新たに光を当て直したといえる研究書だ。海を中心に置くことで、これまで見えていなかったものがあらためて数多く見えてくる、というわけだ。
当時の海戦は、太平洋、大西洋、そして地中海でそれぞれ別個に展開したわけではなかった。大西洋で戦闘を遂行する中で発生した運送損失は太平洋のガダルカナルに向かう輸送に影響を及ぼし、地中海のマルタ島へ行く護送船団を運用した結果、大西洋を北に向かう護送船団の数は減り、ドイツ戦艦ビスマルクを追撃するために英国本土、アイスランド、ジブラルタルから戦力をかき集めなければならなかった。
一言で表現するなら、世界の海は全て戦場だった。ドイツ軍は北極圏、南米ウルグアイ沖、オーストラリア西部沿岸で連合国海軍と交戦し、日本軍の潜水艦はカリフォルニア沿岸を脅かした。そして制海権を握って広い海を得た者が、最終的に勝利したという点が重要だ。
枢軸国の中で真っ先に脱落したイタリアは、海軍の面でも問題が多かった。戦艦「ビットリオ・ベネト」、巡洋艦「ボルツァーノ」のようにパスタのレストランを連想させる名前の軍艦は、立派な外観を誇るかのように高速の機動力を有していたが、慢性的な燃料不足に加えて空軍とのコミュニケーションがうまく取れないという弱点を抱えていた。その結果、序盤で出鼻をくじかれることとなった。逆に、開戦直後に素早く大洋を掌握した日本海軍は、敵である米国から「訓練水準が優れており、効率的で、武器と戦闘員が質的に優秀という確固たる信念がある」と評された。
素早い海軍動員でノルウェーを占領して鉄鉱石を確保したドイツは、道を逆行した。大々的にソ連に侵攻した後、陸上戦に没頭していたヒトラーは、海軍提督の助言を無視して「現代戦は空軍が重要なのであって、大型の戦艦がなぜ必要なのか」と怒鳴った。ドイツ海軍が総統から冷遇されて輝きを失った結果は、冷酷だった。枢軸国は地中海を渡って補給を届けることすら困難になった反面、英国は、喜望峰を回っていってスエズ運河を通過するという遠回りのルートではあるが、補給路を失うことはなかった。
「砂漠のキツネ」と名付けられたドイツの将軍ロンメルが英国の将軍モントゴメリーに押された理由は、まさに劣悪な補給のせいだった。北アフリカを失った枢軸国は、43年には連合軍のシチリア上陸を許し、胸倉をつかまれる格好となった。一方、防御よりも攻撃を高く評価する伝統を持つ日本海軍は、米潜水艦の攻撃に対して無力で、戦争の終盤には日本本国と東南アジアを結ぶ補給路がほぼ遮断された。補給は戦争の鍵であり、それを守ってくれるのは海軍力だった。
著者は、連合国が全地球的対決で勝利した三つの要素として「英国人の不屈の意志」「ソ連赤軍の回復力」、そして「米国を中心とした海軍の優位」を挙げた。生命線も同然の連合国の補給路を最終的に守ったのは米海軍だったが、その背後には、枢軸国の攻撃で沈められた船よりも多くの船を常に作り続けた生産力があったのだ。
詳細な情報を大量に盛り込んでいる浩瀚(こうかん)な書籍だが、多少つじつまが合わないように思える部分もある。例えば80ページの脚注では「真珠湾の戦い(1941年12月)が終わった直後から、英国軍に代わって米軍がアイスランドに駐屯した」となっているが、282ページの本文では、米軍のアイスランド派遣の時期を41年6月と記している。原文と翻訳文、どちらかの間違いなのかは明らかでない。1024ページ、5万3000ウォン(約5800円)
兪碩在(ユ・ソクチェ)記者