尹錫悦政権
「非常戒厳」宣布から150分後に韓国国会で解除要求決議案可決、尹大統領のリーダーシップに大打撃
韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が3日の夜10時20分ごろ、「対国民特別談話」を通して「憲政秩序を守るため非常戒厳を宣布する」と述べ、夜11時付で全国に非常戒厳布告令を発表した。だが韓国国会は、布告令が効果開始を宣言してからわずか2時間後の4日午前1時に本会議を開いて戒厳解除要求決議案を上程し、190人の賛成で可決した。韓国憲法と戒厳法の規定によると、国会在籍議員過半数(151人)の賛成で戒厳解除を要求した場合、大統領はこれを受け入れて戒厳を解除しなければならない。尹大統領が3日に非常戒厳を宣布するに当たって国務会議(閣議に相当)を経たかどうか、はっきりとは確認されていない。しかも進歩(革新)系の「共に民主党」など野党側が国会で圧倒的多数(192議席)を確保している状況で、戒厳宣布からわずか150分で解除しなければならない非常戒厳をなぜ強引に宣布したのか、疑問が提起されている。政界からは「尹大統領の戒厳宣布が適法な手続きを経たのかどうか、もう少し調べてみなければならないが、政治的には自滅の手」という声が上がった。
尹大統領は3日の夜、緊急特別談話を通して、非常戒厳の宣布を発表した。だが憲法などに規定した法的な手続きの観点から、戒厳令が宣布されたとは見なし難い、という指摘が出ている。韓国憲法で規定している国務会議の審議など、戒厳宣布のために踏むべき手続きが守られなかったというのだ。韓国憲法77条によると、大統領は「戦時・事変またはこれに準ずる国家非常事態において兵力で軍事上の必要に応じたり公共の安寧秩序を維持したりする必要があるとき」に、「法律が定めるところによって」戒厳を宣布することができる。戒厳法2条2項では、非常戒厳は大統領が戦時・事変またはこれに準ずる国家非常事態の際、敵との交戦状態にあったり社会秩序が極度にかく乱されたりして行政および司法機能の遂行が著しく困難な場合に、軍事上の必要に基づいたり公共の安寧秩序を維持したりするため宣布する。憲法89条と戒厳法2条によれば、大統領が戒厳を宣布しようと思うときは、国務会議の審議を経なければならない。しかし首相室の関係者は「戒厳宣布案を審議するための国務会議は事前に開かれたことがないようだ」と明かし、国務会議が開かれたかどうかはっきりとは確認されなかった。
戒厳法3条によると、大統領が戒厳を宣布するときは「その理由、種類、施行日時、施行地域および戒厳司令官を公告」しなければならない。しかし尹大統領は3日の夜の談話で、自由憲政秩序の守護などの理由を挙げて「非常戒厳を宣布する」と述べただけだ。戒厳の理由と種類(非常戒厳)を明らかにしたとは見なせても、具体的な施行日時と地域が特定されたとは見なし難い、という指摘が出ている。戒厳司令官は尹大統領の談話の時点では公告されず、後に朴安洙(パク・アンス)陸軍参謀総長が「戒厳司令官」名義で「戒厳司令部布告令」を出した。
戒厳法5条によると、大統領は現役将官の中から国防部(省に相当)の長官が推薦する人物を国務会議の審議を経て戒厳司令官として任命しなければならない。しかし戒厳令宣布のための国務会議自体が開かれていないと考えられ、戒厳司令官任命のための国務会議の審議もなかったとみるべき-という指摘がなされている。
韓国憲法77条と戒厳法4条によると、大統領が戒厳を宣布したときは、遅滞なく国会に通告しなければならない。禹元植(ウ・ウォンシク)国会議長に戒厳宣布が通告されたかどうかは確認されなかった。また、韓国憲法77条は「国会が在籍議員過半数の賛成で戒厳の解除を要求したときは、大統領はこれを解除しなければならない」と定めている。しかし警察は戒厳直後に一時、議員らの国会入りを妨げた。後に国会の戒厳解除と関連する議決の過程で問題になりかねない。
韓国国会はこの日、非常戒厳布告令1号が宣布されてからわずか2時間後の4日午前1時、本会議に戒厳解除要求決議案を上程し、通過させた。これにより大統領は戒厳を解除しなければならない。韓国国会の戒厳解除要求決議案の処理後、国会に配置された戒厳軍は撤収に入った。このため、尹大統領が監査院長と検事の弾劾などを押し付ける巨大野党に対抗して、戒厳宣布で威力の誇示をしたのではないかという声が上がっている。しかし1987年の民主化後、武装した戒厳軍が国会に入るというまれな事態を招いた政治的影響は並のものではないとみられ、今後大統領弾劾要求が強まるなど、政治的波紋が起こるだろうと分析されている。
崔慶韻(チェ・ギョンウン)記者、キム・ギョンピル記者