▲1994年10月21日、米国務省のロバート・ガルーチ北朝鮮核問題担当大使(写真左)と北朝鮮外交部の姜錫柱・第一副部長がジュネーブ合意文に署名しているところ。/朝鮮日報DB

 1994年10月21日に、北朝鮮の核開発中止と引き換えに軽水炉を提供する米朝ジュネーブ合意が結ばれた後のことだ。在米韓国大使館勤務を終えて帰国した外交官L氏が、同年12月に就任した孔魯明(コン・ロミョン)外相の補佐官として働くことになった。ある日、L氏は孔外相の公用車の中でジュネーブ合意の問題を持ち出した。すると孔外相は「ジュネーブ合意に関与した人々は皆、その結果について責任を負うべきだ」と批判した。

 L氏が大統領府に柳宗夏(ユ・ジョンハ)外交安保首席を訪ねたときも、同じようなことを聞いた。後に孔外相の後任となる柳首席は、外交部(省に相当)でジュネーブ合意に関与していた人々を「上の人間にへつらうばかりで国益は眼中になかった」と非難した。

 外交部の高官を務めたL氏は2021年に出版された孔外相の九旬(90歳)記念文集『孔魯明と私』に、こうした発言を全て記録した。「実際に孔長官は、外交部での人事のたびにジュネーブ合意関係者らを徹底して疎外させた」という文言が目に留まった。

 孔魯明・柳宗夏両外相は、北朝鮮がジュネーブ合意を守らず、韓国に不利に作用する可能性が高いと考えた。米国が北朝鮮核危機問題を取り繕うために「核凍結と(政治的・経済的)補償」方式を適用、毎年50万トンの重油を送るとしたやり方も気に入らなかった。

 今年10月で締結30周年を迎えるジュネーブ合意は、孔・柳両外相の懸念した通りになった。核兵器開発は大きく分けて、核燃料再処理によるプルトニウムの取り出しとウラン濃縮とに分けられる。北朝鮮は、この合意がプルトニウムを利用する寧辺核施設に集中していることを悪用し、秘密裏にウラン濃縮の開発に乗り出した。米国は合意当時から北朝鮮のウラン濃縮を疑っていたが、2002年まではこれを本格的に問題にすることはなかった。「対話で北朝鮮の核問題を解決する」という米国の誤った判断は、北朝鮮に時間稼ぎをする余裕を与え、このごろ北朝鮮が「核保有国」だと主張できるようになる土台を作ってやった。

 1994年の合意当時、核兵器を一つも持っていなかった北朝鮮は、30年後には国際原子力機関(IAEA)事務総長が「事実上の核兵器保有国」だと言うほどになった。

 これとは対照的に、1990年代初めまで米国の戦術核兵器が数百基配備されていた韓国からは、核戦力が全て撤収し、「恐怖の均衡」を保てなくなった。北朝鮮はジュネーブ合意時に「朝鮮半島非核化」を掲げたが、北朝鮮非核化の代わりに韓国の非核化を招いたのだ。今年、「国軍の日」の市街行進後、北朝鮮の金与正(キム・ヨジョン)が「核保有国の前ではみすぼらしく稚拙な行為」と言ったのは、こうした状況を反映したものだろう。ジュネーブ合意は2002年にブッシュ政権が高濃縮ウランの問題を提起して破棄したが、「凍結と補償」の枠組みは北朝鮮の核問題に関する6カ国協議に受け継がれた。

 北朝鮮外交部の姜錫柱(カン・ソクチュ)第一副部長(外務次官)とジュネーブ合意を作った米国のロバート・ガルーチ大使は、懺悔録を書いてもまだすっきりさせられないというのに、反省の色は特にない。ガルーチは今年5月の済州フォーラムで「金正恩(キム・ジョンウン)委員長が、既に持っている核兵器を放棄する可能性はないが、これ以上の核兵器は開発しないことには同意することもあり得る」と再び詭弁(きべん)を弄(ろう)した。その上で、韓国に戦術核を再配備するのは「悪い考え」だと反対し、韓国の核武装案には過敏に反応している。ジュネーブ合意が米国の核心利益を扱う問題であったなら、果たして、あのようにお粗末な処理をして恥をかいてもこんなでたらめなことを言えるかどうか気になる。米国の行政府で韓半島の核問題を扱ってきた人々が、ガルーチと大同小異の立場を持っているのは遺憾だ。

 ジュネーブ合意という巨大な詐欺劇30周年を迎えて韓国人は、遅まきながらであっても戒めを悟らねばならない。最大の教訓は、このごろ詐欺集団の本性をあらわにした金正恩体制に対する信頼問題だ。これに劣らず重要な教訓は、いくら親しい同盟国であっても、自分たちの運命を左右しかねない核関連の決定を他国に委ねてはならないということだ。

李河遠(イ・ハウォン)外交安保エディター

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