経済総合
理工系敬遠現象で人材枯渇、韓国社会20年分のツケを払わされるサムスン電子
韓国を代表する企業であるサムスンの危機論は、外部だけでなく内部からも出ている。サムスン電子の半導体部門を率いる全永鉉(チョン・ヨンヒョン)副会長は8日、「多くの人がサムスンの危機を語っている」とし、謝罪文を発表した。本紙が取材したサムスンの現役・元役員や従業員、専門家は「技術リーダーシップ不在や緩んだ組織文化など社内の問題だけでなく、理工系人材の不足など、韓国の半導体競争力を保つための社会システムが弱体化したことが重なった結果だ」と指摘した。
アジア通貨危機以後、20年以上続いた「医学部ブーム」で理工系が敬遠されたことが「人材第一」を掲げるサムスンにとっては社会的側面で危機の背景となり、社内では「李健熙(イ・ゴンヒ)精神」が途絶えたことと8年間続いた司法リスク、緊張感がなくなった組織文化などが危機を助長した格好だ。
サムスンの象徴は「超一流」「超格差」だった。だが、今はサムスンの幹部でさえ「もはや技術的優位があるとは言い難い」と公然と語る組織になった。過去にはサムスン社員であることが大きな誇りだったが、今はそんなプライドも薄くなっている。
■人材枯渇と内部危機
専門家は韓国を代表するテクノロジー企業サムスンの競争力低下を引き起こした中心的要因を慢性的な「人材難」とみる。韓国の大企業で唯一公開採用を維持しているが、実力だけでなく会社に対する忠誠心も全般的に過去ほどではないという。サムスンの事情に精通している財界関係者は「アジア通貨危機以降、大量失業の事態を目撃した優秀な人材が医学部に傾き始め、今や工学部の定員は全国の医学部の二の次で満たされる。それでも留学、グローバル企業、インターネット企業(ネイバー、カカオ、LINE、クーパン、配達の民族)が優先され、製造業であるサムスンはランクが下位になって久しい」と話した。サムスンは毎月100万ウォン(約11万円)を支給し、約8000人の青年に無料でソフトウエア教育を受けさせ、半導体分野で契約学科(大卒と同時に契約企業への就職が決まる学科)まで設置し、人材確保に乗り出しているが力不足だ。業界関係者は「電子工学専攻者でさえ学校で半導体設備をまともに扱った経験が極めて少ない。大学授業料が20年近く凍結され、大学が設備投資をできなかったためだ」と話した。
こうした状況が20年以上続き、サムスン内部の問題も明らかになり始めた。問題の核心には「李健熙精神」が途絶えた
ことがある。1974年に破産寸前の半導体メーカーを買収し、米日との30年の技術格差に追い付こうとした無謀なチャレンジはもはやサムスンには存在しない。財界関係者は「創意あるアイデアと思い切った投資ではなく、安定した収益を追求する文化に変わった。サムスン問題の本質はそこに発端がある」と分析した。
役員や社員は本気を出さずにいる。研究開発分野の同社役員は「過去には問題が生じれば、それをどうやって解決するかに力を注いだが、最近はそれが誰の過ちかを質し、責任を問うことの方に集中している。そのせいで部門間の利己主義も大きくなった」と打ち明けた。
2016年の国政介入事件を発端とした「司法リスク」もサムスンの足を引っ張った。経営権継承問題で総帥である李在鎔(イ・ジェヨン)会長が逮捕され、353日間の収監、執行猶予による釈放、207日間の再収監、仮釈放と続いた。李在鎔会長は今もサムスングループの不正な合併や粉飾会計事件で二審の裁判に出廷している。
歴代政権は司法リスクを抱え込んだサムスンに大規模な投資と採用などを要求し、それが現在のサムスンにが大きな「ツケ」として残っている。2019年に「総合半導体強国」を目標に掲げた文在寅(ムン・ジェイン)大統領の訪問に合わせ、サムスンが慌てて発表した「2030年システム半導体1位」という目標は、ライバルである台湾積体電路製造(TSMC)を強く刺激し、結果として同社の大規模投資を招き、サムスンは競争でより不利な立場に置かれたとの分析もある。
「超一流サムスン」というプライドと組織文化も緩んだ。ある研究開発部門の社員は「夜勤をすれば、翌日遅めに出勤しないと、(労働時間の)週52時間上限制を満たせなくなるので仕事が進まず、会社もMZ世代(ミレニアル世代とZ世代)の社員の顔色を過度にうかがう」と話した。別の社員は「事業部の実績さえ良ければ、年収に大きな差はないので、熱心に仕事をせず、(会社に)タダ乗りして、福利厚生だけを享受する人が多い」と話した。
■TSMCは「李健熙精神」でサムスンを超えた
サムスンが揺らぐ間、最大のライバルであるTSMCは「李健熙精神」で武装して突っ走り、2021年には時価総額でサムスンを追い越した。TSMC創業者の張忠謀(モリス・チャン)氏(93)は、李健熙会長がサムスン電子の経営権を受け継いだ1987年に会社を設立した。李会長との親交があり、韓国でサムスンの半導体工場を視察した張氏は李健熙会長から「メモリーをやるには資本と人材が多く必要だ」との説明を受け、メモリー事業構想を断念し、ファウンドリーに専念した。業界が要約する張氏の「スケールアップ(規模拡大)」「危機突破」「先制的投資」などの経営哲学は李健熙会長のスタイルにそっくりだ。ある大企業の役員は「韓国財界で創業者精神が薄れる中で、創業者精神で武装した台湾と中国の企業がものすごい勢いで韓国を追い越している」と指摘した。
朴淳燦(パク・スンチャン)記者、柳智漢(ユ・ジハン)記者