政治総合
朝中親善の象徴「鴨緑江断橋」、今では中国の宣伝手段に
「抗美援朝(美国〈米国〉に対抗して北朝鮮を援助したという意味で、6・25戦争の中国式の名称)出征地」
10月3日、鴨緑江下流で新義州と国境を接している中国・丹東の「鴨緑江断橋」入り口。そこにはこのような文言を記した額が掲げられていた。昨年初めの時点では無かった宣伝の文言だ。途中で切断された橋の突端には大型の電光掲示板が取り付けてあり、中国国営の中央電視台(CCTV)のドラマ『跨過鴨綠江(鴨緑江を渡って)』の編集版が上映されていた。このとき画面には、中国側の総司令官である彭徳懐と毛沢東の姿は繰り返し登場したが、北朝鮮側の指導者が登場する場面はなかった。鴨緑江断橋は今年だけでも3月と5月、さらに7月から9月にかけて合計6回も閉鎖されており、補修や装飾の作業が行われたものとみられる。
鴨緑江断橋は1950年10月19日の中国軍の韓国戦争参戦に伴って人民志願軍の移動経路かつ米軍の爆撃目標となり、真っ二つにされた。北朝鮮側とつながるはずの橋の半分は切れたままになっているが、長年にわたり朝中親善の象徴と考えられていた。しかし最近、装い新たになった鴨緑江断橋は、北朝鮮に対する友好的なメッセージよりも中国が主張する米国対抗「勝利」を宣伝する典型的な「紅色観光地」に生まれ変わった。中国は抗美援朝を「米国との戦争で勝った歴史」と宣伝している。鴨緑江断橋の「変身」は、きしみを上げる朝中関係の断面を示している。
朝中修交75周年を迎えた10月6日には、朝中関係改善の象徴となるだろうと思われていた新鴨緑江大橋の開通が、予想に反して行われなかった。10年前に完工したこの橋の道路は、今年になって大々的に再整備されたが、橋の頂に掲げられていた「中朝鴨緑江大橋」の7文字の扁額が姿を消していた。扁額はおよそ1カ月前に撤去されたという。中国が1年以上にわたり大橋の補修を行う中で扁額を交換すると決めた可能性もあるが、扁額があった場所を長期間空けたままにしておくのはおかしいという側面もある。
丹東の街の風景も、両国の異常な雰囲気を表している。コロナ前の2019年には、朝中修交70周年を記念して丹東の鴨緑江沿いの道路に北朝鮮の人共(人民共和国)旗と中国の五星紅旗が共に掲げられたが、今年は修交75周年にもかかわらず中国の国旗ばかりでぎっしりだった。
丹東=李伐飡(イ・ボルチャン)特派員