文在寅(ムン・ジェイン)政権当時、国軍機務司令部の軍人たちはいわゆる「積弊清算」という名目で過酷な捜査を受けた。機務司令部出身の予備役大領(大佐)A氏は「機務司令部政治コメント事件」で起訴され、1年6カ月服役した。2019年9月に満期出所したが、すぐに検察に出頭を求められた。機務司令部関連の別の事件で捜査を受けることになったA氏は再び懲役8月の刑が確定し、刑務所に逆戻りした。二度にわたる捜査、裁判でA氏は弁護士費用などで4億ウォン(約4300万円)がかかったという。その過程で1億ウォンの借金をして、現役時代に京畿道に購入した自宅も売却した。

 A氏は大法院で判決が確定するまで現役軍人の身分を維持した。A氏は「現役軍人で起訴されれば月給が半分(基本給の半額)に削られる。当時は月170万ウォンで家族を養わなければならなかった。刑務所で家族が生活苦にあえいでいると聞きつらかった」と話した。A氏は軍人年金も自身が納付した額(本来の給付額の半額)だけ受け取っている。刑事事件で有罪が確定すれば、年金が半額に削減されるためだ。

 A氏のように軍の積弊清算捜査に巻き込まれた軍人は、資産をなくし身を滅ぼすことを覚悟しなければならなかった。弁護士費用の負担は家族の経済的苦痛につながる。元機務司令部勤務の上級将校の家族は、京畿道にある面積30平方メートル余りのマンションで借家住まいをし、弁護士費用は知人から借り入れた。機務司令部出身の予備役大領B氏は「一度起訴されれば、数年間裁判を受けなければならない。家族がアルバイトをしながら、かろうじて生活するケースもある」と話した。

 元陸軍参謀総長の張駿圭(チャン・ジュンギュ)氏(予備役陸軍大将)はいわゆる「戒厳令文書」事件で、問題の文書に戒厳司令官として名前が挙がった。そのため検察による捜査対象となった張氏は「内乱陰謀」容疑で自宅の捜索と被疑者としての取り調べを受けた。

 当時、文在寅政権の関係者らは、朴槿恵(パク・クンへ)政権末期に戒厳令文書の作成を指示した趙顕千(チョ・ヒョンチョン)機務司令官が同じ陸軍士官学校出身の張氏を戒厳司令官に据え、クーデターを企てたと疑った。張氏は「当時検察に暴行を受けた。怖かったが、子どもたちに『父を信じているだろう。私はそんな生き方はしていない』と話して耐えた」と話した。検事37人が投入され200人余りが捜査対象となったが、「内乱陰謀」の罪で起訴された人物はいなかった。

 張氏は捜査を受ける間、ずっと不安にさいなまれたという。「別件捜査」が原因だった。張氏は「内乱陰謀容疑と関連する証拠が何も出てこないからか、検察が陸軍総長時期の人事・出張不正、横領の有無などをくまなく調べた。私は潔白を確信していたが、部下のレベルで私が知らないことが何かがあったかもしれないので不安だった」と話した。

 「セウォル号遺族査察事件」などで検察の捜査を受けた李載寿(イ・ジェス)元機務司令官は2018年12月に自ら命を絶った。検察の逮捕状請求が棄却されたにもかかわらず、耐えられなかったのだ。李氏は令状審査に向かう途中に手錠がかけられ、カメラマンの砲列を浴びるなどの侮辱を受けた。

 予備役元士(副士官)のキム・ジェヨン氏は、セウォル号事故の当時、機務司令部で全羅南道珍島地域の担当官だった。キム氏は「事故直後はただ使命感、責任感で道端で寝ながら10日余りを事故現場で勤務した。遺族は何が必要なのか、どんな要求があるかを把握しなければならなかったためだ」と話した。キム氏は「それでも機務要員は全員が査察疑惑を受け、いくら釈明しても捜査機関は話を聞いてくれなかった」と振り返った。セウォル号遺族査察事件では、最初の検察捜査段階で地域部隊長が起訴された。「上層部を明らかにせよ」という遺族団体の要求を受け大規模な再捜査が行われたが、追加で起訴された人物はいなかった。

 キム氏は何の処罰も受けなかった。しかし、機務司令部の解体で野戦部隊に放出され、新しい部隊で適応できずに結局除隊を選んだ。機務司令部に対する捜査で拘束されたある関係者は「スパイ団事件で拘束された人々は領置金(差し入れの現金など)があふれ、弁護士の接見も多かった。一生スパイ防止業務を行って捨てられた自分には悔恨が生じた」と話した。

キム・ジョンファン記者、ヤン・ジホ記者

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