▲市民団体「キル(道)」の閔庚宇代表/コ・ウンホ記者

 市民団体「キル(道)」の閔庚宇(ミン・ギョンウ)代表(59)は1995年から10年間、祖国統一汎民族連合(汎民連)で南側本部事務処長を務め、民族解放(NL)系の「統一運動」に参加。国家保安法違反で4年2ヵ月間にわたり服役した。閔代表は20日、本紙とのインタビューに応じ、任鍾晳(イム・ジョンソク)元大統領秘書室長が前日、「9・19平壌共同宣言6周年記念式」で「統一はやめよう」と提唱した「南北二国論」に関連し、「金正恩(キム・ジョンウン)が提示した二国論が韓国の制度圏政治(既存の制度下における政治)に本格的に入ってきたことを意味する」と話した。以下はその一問一答。

―林元室長の発言をどう見るか。

 「わずか5年前に統一運動をやりたいと言っていた人物が突然『統一はやめよう』と立場を変えた。そして、統一部の整理、国家保安法の廃止にまで言及した。「まずは北朝鮮の立場が正しい」と考える心理とみられる。一般人は理解しにくいだろうが、個人的に統一運動をしながらそうしたケースをよく目にした」

―昨年末、金正恩が「敵対的二国家宣言」を行い、対南機関を廃止すると、韓国でも汎民連韓国本部が解散した。

 「今年上半期、北朝鮮が韓国国内のNL陣営に『統一問題は除外しよう』と伝えたと聞いた。長い間「統一運動」を行ってきた汎民連南側本部、6・15共同宣言実践南側委員会はそれぞれ自主連合、自主統一平和連帯に再編された。彼らの主張から統一は抜け落ちたり減ったりして、平和共存、自主、反帝国主義が強調された。ところが、北朝鮮の目には韓国でこれといった反響がなかったように映った。そんな状況で任鍾晳という『大物メッセンジャー』が北朝鮮の新しい路線に沿った言及を行ったのだ」

―「統一」をアイデンティティーとしていた政治家が「反統一」を主張したことになるが。

 「統一運動史を見ると、急激な立場変化は初めてではない。1991年の南北国連同時加盟当時、北朝鮮の立場が一夜にして変わると、韓国国内の在野勢力も立場を変えた。韓国は南北が国連に同時加盟しようという立場であり、北朝鮮はそれを『反統一政策』だとし、南北が『単一議席』で加盟しようと主張した。国内の在野勢力は長い間北朝鮮の立場を支持し、単一議席による加盟を『統一の試金石』だと主張した。しかし、東欧の国々が反対せず、韓国が先に国連に加盟する可能性が高まると、北朝鮮は先に国連に加盟してしまった。当時北朝鮮が出した声明を今も覚えている。主体思想派は内部的に混乱があったが、『北朝鮮がやることはひとまず信じてみよう』と言い追随した」

―統一運動で北朝鮮の立場はそれほど重要だったのか。

 「2001年に金剛山で6·15祝賀式典を開くことにした。 金大中(キム・デジュン)政権は(1997年に利敵団体に当たるとの判決を受けた)汎民連韓国本部が議長団に入るのならば、行事を許可しないと通告した。汎民連の内部会議では『反政府闘争をやろう』などという激しい論争があった。その時、北朝鮮からファクスが1枚入ってきた。「今回は譲歩してもらいたい」という内容だった。論争はそれで終わった。汎民連北朝鮮本部の名義のファクスだが、実際には北朝鮮の統一戦線部が下した指示だと考え、誰も異議を申し立てなかった」

―統一運動をやる場合、北朝鮮と連携があったのか。

 「統一運動に参加した大学生や市民の中には善良な意図を持った人も多かった。ただ、1980年代後半に北朝鮮が韓民戦(韓国民族民主戦線)を通じ、韓国の学生運動勢力に『思想的指導』を行ったことも事実だ。北朝鮮が韓民戦放送を流せば、それを短波ラジオで聞き、誰かが徹夜で番組内容の記録を作り、未明には学生会の部屋に置いていった。それをコピーしてキャンパスに回した。影響力は大変なものだった。1989年の林秀卿(イム・スギョン)訪朝の際も、韓民戦放送が『血を吐く訴え』という表現を使い、訪朝の必要性を強調した記憶がある」

ー統一運動をしながら、北朝鮮から指示を受けたことはあるか。

 「1995年から10年間、汎民連韓国本部で働いていた時、日本の朝鮮総連政治局長と多くて月に15回電話で話した。非常に重要な問題があれば、政治局長が北朝鮮に意見を聞き、ファクスを受け取って韓国に送ってくれた。北朝鮮の指導が日常的に働いていると見るべきだ」

―北朝鮮はなぜ「敵対的二国家論」を掲げたと思うか。

 「北朝鮮が望む連邦制は不可能だと判断したようだ。2001年『君子山の約束』をきっかけとしてNL系の人々が制度圏政治への進出を決心し、民主労働党に入党した。しかし、金正恩の目には今後韓国内の親北朝鮮・在野勢力が政権を握る可能性はなく、連邦制統一は不可能だと判断したようだ。それに加え、北朝鮮体制の安定という意味で、『二つの国』に明確に線を引くべきだと考えたとみられる。韓国から流入する思想を抑制する根拠が必要だったのではないかと思う」

―韓国国内で二国論の主張は続くか。

 「韓国国内で二国論の主張はごく少数だった。一部の関係者がコラムを書いたが、反響は大きくなかった。しかし、任元室長の発言でこの問題が政界に入ってきた。北朝鮮も韓国の世論を見ながら、政界や他のチャンネルを通じ、自分たちの主張を展開し続けると思う。核兵器保有を既成事実化し、韓国との関係も今回いったん整理するという意図と見るべきだ。北朝鮮はひとたび事業を始めると大規模にやる」

―韓国国内のNL系統一運動陣営はどうなると思うか。

 「1953年に休戦協定が締結され、(韓国南部の)智異山に残ったパルチザンがそうだったように、『下山』するしかないのではないか」

朴秀纘(パク・スチャン)記者

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