▲「オックスフォード韓国文学フェスティバル」に招待され講演するタレントの車仁杓(チャ・インピョ)氏。6月撮影。/駐英韓国文化院

 タレントの車仁杓(チャ・インピョ)氏が小説を書く決意したのは除隊したばかりの1997年夏だった。その日テレビをつけると背が低い丸顔の老女が空港のゲートから出てくる様子がライブ中継されていた。16歳で日本軍慰安婦として連れ去られ、カンボジアの奥地で55年生きてきたという女性だ。「死ぬ前に一度は故郷に何としても来てみたかった」と語る70代の女性が入国ゲートで「アリラン」を歌った時、車仁杓氏は「針が胸を突き刺すような苦痛と怒りを感じた」と当時の思いを語った。

 しかし小説は簡単には書けなかった。車仁杓氏は「日本軍を暴風のように懲らしめ、痛快に復讐(ふくしゅう)するストーリーで書こうと思ったが、怒りだけでは話を進めることはできなかった」とも語る。

 一時は諦めていた原稿をもう一度手にしたのは、2人の子供の父親となった8年後のことだ。車仁杓氏は怒りと復讐を許しと和解に昇華する方向転換を見いだした。白頭山の麓の「ホランイ(虎の意)村」の住民と、その周辺に駐屯していた日本軍兵士たちが協力して倒れた稲穂を立てる場面がその典型だ。車仁杓氏は「私たちの悲しい歴史を子供たちにどう伝えるか悩んでいたら、単なる懲らしめや復讐を選択することはできなかった」と語る。

 この小説は2009年に出版されたが、誰も読まないので絶版になった。それから突然意外な連絡が来たのは今年6月だ。英オックスフォード大学がアジア中東学部の韓国学必修教材として車仁杓氏のこの小説「いつか私たちが同じ星を眺めるならば」を採択したのだ。選定された理由も注目を集めた。「ウクライナ戦争、イスラエル戦争など世界各地で銃声が鳴り響く今、許しと連帯の糸口を投げかけた」というのだ。アジア中東学部のチョ・ジウン教授は電話取材に「刺激的なストーリーと熾烈(しれつ)な復讐で終わる作品とは違い、『母の星』が必要な彼らに温かい共感と連帯を呼びかけるストーリーが文学的に響いてくるから」と説明した。オックスフォード大学はこの小説を大学の全ての図書館に置くため英語、ドイツ語、フランス語への翻訳を進めている。

 独立記念館長任命問題で今政界では再び親日問題が浮上しているが、それを横目で見ながら想像してみた。「竹やり歌」を歌い親日・反日の区別に乗り出した政治家たちは車仁杓氏をどちらに分類するだろうか。北朝鮮住民の悲惨な実情を描いた映画「クロッシング」に出演し、脱北者の強制送還に反対するデモや抗議活動を行い、小説では日本軍を美化したから「ニューライト」になるのか? 息子と共に、慰安婦被害者女性が生活する「ナヌムの家」でボランティア活動に取り組み、統一を願う思いから小説の舞台を白頭山の麓の村に設定したから左派になるのか。

 親日攻撃は明らかに時代に逆行している。生まれてみたら先進国で生活していた韓国の10代、20代は「スラムダンク」に夢中で、大谷翔平が宣伝する緑茶を飲み、「青い珊瑚(さんご)礁」を日本語で歌うことに何の違和感も罪意識もない。個人的に知り合いの日本経済新聞のソウル特派員から「KポップやKドラマに魅了された日本の若者は会話の中で『チンチャ』『チョルラ』『テバク』などの韓国語を普通に使っている」と聞いてつい笑ってしまった。日本と貿易しているある実業家も笑えないハプニングを教えてくれた。東京で出会ったある高校生が「ソウルに行ってみたら韓国は日本よりも豊かに見えたのに、なぜ日本に金をくれというのか」と聞いてきたという。韓国の1人当たり国民所得は昨年日本を上回った。

 問題は時代遅れの日本に対するコンプレックスにとらわれている大人たちと政界だ。世界10位の経済大国で生活しながら「韓国は弱小民族であり、今も収奪を受けている」という妄想から抜け出せないのだ。巨大野党はその妄想につけ込んでくる。1兆6000億ウォン(約1700億円)の血税を浪費した福島汚染水デマだけでは足りず、親日公職者を探し出す作業と独島抹消疑惑の真相解明まで始めた。それにより失墜する国格、国益に彼らは何の関心もない。北朝鮮・ロシア・中国の脅威を受け、安全保障と経済では同じ舟に乗っているはずの日本を敵対視して韓国が得られる実益などあるのか。

 地球上のあらゆる紛争がそうであるように、憎悪と恨みは報復の連鎖をもたらす。そこに勝者はない。許しは屈辱ではない。悲しみと苦痛を克服する最も勇気ある方法であり、勝者が敗者に施すことができる特権だ。だからこそ光復80年、韓日国交回復60年を前に、歴史に対する大転換点を迎えるべきという声が高まっているのだ。

 京都国際高校の甲子園優勝が感動を与えてくれたのは、甲子園球場に韓国語の校歌が響いたからではなく、この校歌を韓国と日本の生徒たちが一緒に歌ったからだ。つまり許しと連帯は双方を勝者とする最も実用的な代案だ。暴風で倒れた稲穂を生き返らせるため、ホランイ村の住民と日本軍兵士たちが一緒に腕をまくり汗を流したことは非常に現実的な対応だったが、そこから収穫された米はみんなを生かす糧になった。

金潤徳(キム・ユンドク)記者

ホーム TOP