▲写真=朝鮮日報DB

 20年前に出版された作家、金薫(キム・フン)(76)の散文集のタイトルは「あなたはどちら側なのかと尋ねる言葉について」だ。追加説明の必要はないだろう。あなたは左か右か、味方かどうかだ。 それが改善するどころか、悪化している事実を我々は過去の歳月を通じて知っている。保健社会研究院が約4000人を対象に実施した対面調査によれば、恋愛・結婚ができない一番の理由は宗教ではなく、政治的傾向の違いだったことが明らかになった。今は同じ陣営内でも「誰の味方か」で生死が分かれる。表だけ緑(民主党)でも中身は赤(国民の力)寄りの「スイカ」かどうか、熱狂的支持層かどうか、密偵かどうかなどだ。

 20年後、作家金薫が最近出版した散文集のタイトルは「虚送歳月」だ。それほど無駄に時間だけが流れたということだろうか。勿論そういうテーマだけで終始する本ではないが、「敵対する言語」という題の短文が収録されている。主人公は詩人で文学評論家の林和(イム・ファ、1908~1953)だ。日本による植民地統治時代のプロレタリア文学の最高峰だ。ソウルが故郷だが、1947年に「社会主義祖国」の平壌へと越北し、6・25(朝鮮戦争)当時、人民軍が南下する際に洛東江戦線まで従軍した確信犯と言える。しかし休戦直後の1953年8月、彼は「米帝のスパイ」という罪名で死刑となる。社会主義祖国で彼は「密偵」だった。

 金薫が引用した林和の詩が2編がある。6・25当時に人民軍が歌った「人民抗争歌」がその一つだ。「敵と共に戦って死んだ/我々の死を悲しむな/旗を覆いかけてくれ赤旗を/その下で戦士を誓った旗」という内容だ。強力な理念性と爆発的な扇動力がある。二番目の詩のタイトルは「風よ、伝えろ」だ。頭脳ではなく体で戦争の惨禍を経験して帰り、平壌で発表した作品だ。「火がつくガソリンと/降り注ぐ銃弾の中を/家と穀物と村までを失い/風の中に立っている母に」革命から人間に、理念から母親に視線を向ける瞬間、彼の死は決まっていたと金薫は淡々と書いている。これ以上味方ではなくなった時、林和は後方の人民を侮辱し、敗北主義的感情と投降主義思想を流布した人民の敵となって命を失った。

 母親より理念を優先しなければ生き残れない人生とは嫌気が差す。相手がどちら側かを問うより、光復節か建国節かを問うより、韓国にとって重要なことは、食べていくことではなかったか。古い街並みのように静かに愛し続け、子どもともっと遊んであげられないことを残念がる日々が人生でなければならないのではないか。

 憂鬱な話ばかりしたくはない。巨大な仲間分けが進む社会の中で極めて些細で純真な反対例かもしれないが、最近変わったコラムリレーがあった。嘉泉大のチャン・デイク教授が8月9日付朝鮮日報に書いたコラムに対し、全北大の康俊晩(カン・ジュンマン)名誉教授が8月14日付京郷新聞のコラムで呼応したのだ。テーマは「理念ではなく日常」だ。ドーパミンを誘発する刺激的なユーチューブ生態系を憂慮し、より多くの知識人がユーチューブに参加すべきだチャン教授が提案すると、康教授は問題意識を共有し、知識人がユーチューブ生態系に簡単にシフトすることができる技術的革新の話で応えたのだ。文在寅(ムン・ジェイン)政権以降、革新陣営を主に批判した康教授は最近、その陣営の極端主義者に「裏切り者」と非難されている。金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権当時、「味方」の先鋒だった論客康俊晩を思えば皮肉なことだが、知的怠慢と知的不誠実で依然「あなたは誰の味方か」だけを問う怠惰な知識人に比べれば希望の光を見つけられる事例だと思う。私はふと今年5月にこの世を去った詩人、申庚林(シン・ギョンリム、1935~2024)の「私は左も右も信じない。まじめなやつだけを信じる」という言葉を思い出した。

魚秀雄(オ・スウン)記者

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