▲日本の全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)で優勝した後、韓国語の校歌を歌う京都国際高校の野球部員たち。写真=news 1

 韓国人が建てた京都国際高校が日本の高校野球で頂点に立った。京都国際高校は23日、兵庫県西宮市の甲子園球場で行われた第106回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)の決勝で、東京の関東第一高校と延長10回まで続く接戦の末、2-1で勝利した。

 京都国際高校は9回まで0-0で競り合ったが、タイブレーク方式の延長10回表で安打・四球・犠牲フライなどにより2点を先取した。延長タイブレークとは2018年から夏の甲子園大会に導入された制度で、無死一・二塁の状態から攻撃を開始する。京都国際高校は10回裏に関東第一高校に1点を奪われ、2-1と追い上げられたが、二死満塁で左腕エースの西村一毅(2年)が三振を奪い、優勝を決めた。

 京都国際高校は京都府東山区にある。1947年に在日同胞(韓国・朝鮮人)たちが資金を集めて建てた民族学校「京都朝鮮中学」がルーツだ。京都朝鮮中学は1990年代ごろ、財政難に見舞われて生徒数が急減したため、韓国外交部(省に相当)や在日本大韓民国民団(民団)などの同胞団体と相談し、日本の学校に転換することにした。2003年に日本政府の認可を受け、翌年日本人に門戸を開いた。学校名も京都国際中学校・高等学校に変更した。現在は在校生159人のうち70%が日本人だという。日本政府も毎年約1億3000万円を支援している。これは全運営費の30%前後に当たる。韓国政府が40%に当たる年間約16億ウォン(約1億7500万円)を追加し、授業料や支援金として充当している。

 野球部も当時は日本人の生徒を集めるための手段だった。1999年に野球部が創設されて以来、同校の日本人男子生徒は大多数が野球部に入るために入学したという。今回、甲子園に出場した野球部員たちもほぼ全員日本人だ。女子生徒たちは、当時大ヒットしたドラマ『冬のソナタ』などが起こした「第1次韓流ブーム」の影響を受けて入学するケースが多かったが、最近はK-POPなど韓国の大衆文化(ポップカルチャー)に憧れて入ってくるケースが多いという。

 京都国際高校野球部は、創設当初は悪戦苦闘を繰り返した。 1999年に同じ地域の学校と行った初試合で0-34と大敗を喫した。当時は投手が1人しかいなかったそうだ。白承桓(ペク・スンファン)校長は「初勝利は(野球部創設)4年目の2003年」と言った。その野球部が2021年から京都府内の約70校を抑えて甲子園大会に出場し始め、昨年まで5年連続でプロ野球選手を輩出するほどに成長した。そして、今年は「夏の甲子園大会優勝」という快挙を果たした。京都府の高校が夏の甲子園大会で優勝したのは1956年の平安高校以来68年ぶりのことだ。

 京都国際高校を知る人々は「同校の野球部が神話を作った背景には、小牧憲継・現監督(41)の献身がある」と口をそろえる。小牧監督は京都国際高校に近い京都成章高校野球部の出身だ。1999年に京都国際高校に0-34の大敗という屈辱を与えたあの学校だ。小牧監督はこの時の選手だった。高校卒業後、銀行員をしていた小牧監督は、知人の勧めで京都国際高校のコーチを務めることになった。ところが、当時の監督が突然辞任したため2008年から監督に就任し、野球部を率いることになった。もともと長くいるつもりはなかったが、韓国(徳寿中学)から野球留学に来た申成鉉(シン・ソンヒョン、34)=現:斗山ベアーズ戦力分析員=が小牧監督の情熱に火をつけた。京都国際高校の朴慶洙(パク・ギョンス)前校長は「(小牧監督は)申成鉉選手の粘り強さとハングリー精神を見て、『こういう選手がいるならずっと指導したい』と考えを変えたそうだ。その瞬間が京都国際高校野球部を今の姿にまで至らせた」と語った。朝日新聞は「今は日本人選手がほとんどだが、当時は日本語がうまく話せない韓国からの留学生が多く、小牧監督は『身ぶり手ぶり』で選手たちを教えようと努めた」と報じた。緊張をほぐす「柔らかいカリスマ」と選手一人一人に合わせた個別のトレーニング方法が京都国際高校野球部躍進の秘訣(ひけつ)だとの分析だ。

 朴慶洙前校長は2017年から昨春まで在任していた。韓国教育部の元公務員で、駐大阪韓国領事館に勤務していたことから京都国際高校と縁ができた。朴慶洙前校長は赴任と同時に野球部改革に乗り出した。20年以上前のバスを取り換え、料理人を雇って毎朝食事を提供した。トイレ・浴場などの古い施設や、グローブなどの練習道具も変えた。こうしたことが野球部の志願者を増やす効果を生んだ。今回の甲子園大会でエースとして活躍した2年生の左腕投手・西村一毅も京都ではなく滋賀県出身だ。韓国プロ野球の起亜タイガースは今年3月、練習ボール約1000個を京都国際高校に寄贈している。

 23日、甲子園球場の三塁側スタンドには約2800人の京都国際高校応援団が陣取り、試合中ずっと熱い応援を繰り広げた。京都国際高校の在校生は約100人で、残りは京都地域の他校の生徒だった。赤いユニホームを着て、トランペットやドラムなどの楽器で応援歌を明るく力強く演奏していた吹奏楽団約80人は、京都国際高校近くの京都産業大学付属高校の生徒たちだ。地域を代表して出場した京都国際高校を応援するため、自ら買って出た。京都で小学校に通う「さんただ しょう」君(11)は「友達約10人と電車に乗ってきた。野球の練習を頑張って、京都国際高校に必ず入りたい」と語った。

 試合が終わり、同日昼12時30分ごろ、両チームの野球部員と観客約3万人で埋まった甲子園球場に、京都国際高校の韓国語の校歌が鳴り響いた。甲子園大会では試合終了後、勝った高校の校歌を流す慣例がある。「東海の海 渡りし 大和の地は/偉大な我らが祖先 古の夢の場所/朝な夕なに体と徳 磨く我らの仲むつまじい巣/韓国の学園」(訳注:韓国語歌詞直訳)…京都国際高校の校歌が甲子園球場に鳴り響いたのは6回目だった。同日、気温35℃前後という猛暑の中、死闘を繰り広げた京都国際高校と関東第一高校の選手たちは、それぞれ一塁側と三塁側に並び、厳かに京都国際高校の校歌を聞いた。京都国際高校の選手たちは力強く校歌を歌い、三塁側スタンドの京都国際高校在校生約100人は一斉に「KOKUSAI(国際)2024」という母校の名前が赤い字で入った応援タオルを振った。京都国際高校の藤内翼選手(2年)は「2021年に京都国際高校が甲子園に初めて出場した試合を見て入学した。グラウンドのチームメイトたちも、ベンチの選手も、応援席も僕たちもみんな一丸となって闘った」と語った。応援団長を務めた山本新之助選手(3年)は「僕らのチームワークが日本全国1位につながった。卒業前に優勝させてくれたチームメイトたちに感謝する」と言った。京都国際高校の夏の甲子園大会出場は今回が3回目だ。2021年の初出場時はベスト4入りを果たしたが、翌年は1回戦で敗退した。

兵庫=成好哲(ソン・ホチョル)東京支局長、キム・ドンヒョン記者

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