▲イラスト=UTOIMAGE

 2024年パリ五輪は韓国のスポーツの底力を確認した場になった。1976年モントリオール五輪以降で過去最少数の出場だった韓国代表選手団は、予想を覆して金メダル13個・銀メダル9個・銅メダル10個を取り、総合メダル数ランキング8位になった。金メダル数では2008年北京五輪や2012年ロンドン五輪と並ぶ過去最多だ。総メダル数(32個)も1988年ソウル五輪(33個)に次いで2番目に多かった。

 しかし、大韓体育会が今回の五輪に先立って予想値として掲げた金メダルは5個。外れるにしても、あまりにも大きく外れた。日本が金メダル20個を目標に掲げ、これをきちんと達成して総合ランキング3位で五輪を終えたのとは対照的だ。しかし、大韓体育会は当初から「最多で金メダルを16個取れる」と期待していたことが分かった。予想金メダル数を少なく発表したということだ。

 国民の力所属の秦鍾午(チン・ジョンオ)議員(元射撃選手)室が20日に大韓体育会から受け取った「パリ夏季五輪大会競技力分析細部資料」によると、大韓体育会はアーチェリー5個、フェンシング3個、バドミントン2個、テコンドー1個、射撃1個=表参照=など、金メダルを最も多くて16個と見込んでいたという。この資料が作られたのは五輪開幕2カ月前だ。

 ところが、五輪が迫って予想金メダル数を発表する際は「5個」と少なく言った。金メダルはアーチェリー3個とフェンシング2個で、総メダル数は20個だった。これも、細かい内訳は表に出さなかった。大韓体育会の李起興(イ・ギフン)会長は「種目別連盟と協会が大韓体育会に提出したメダル展望報告書をもとに予想した」と言ったが、競技力分析資料の内容と発表内容は違っていた。

 これについて体育界関係者は「目標を高めに設定したものの、不振だった場合、批判の矛先が向けられるのを恐れたものとみられる。『エリートスポーツ予算の拡充を狙ったようだ』という声もある」と語った。大韓体育会のシン・ドングァン訓練本部長は「できるだけ慎重に確実な金メダル候補だけを予想した。(金メダルが多く出たのは)選手の試合当日のコンディションや対戦運などの変数が作用した結果だ」と説明した。

 金メダル5個と発表した大韓体育会の最終予想は、ずさんな部分が少なくない。競泳で黄宣優(ファン・ソヌ)=自由形200メートル=、金禹旻(キム・ウミン)=自由形400メートル=を金メダル候補に挙げたり、アーチェリー男子個人戦をメダル候補から外したりしたのは、現実とかけ離れた判断だという見方だ。射撃も今回は金メダル3個・銀メダル3個という過去最高成績を残し、大韓射撃連盟でも金1個(ヤン・ジイン)、銀2(パン・ヒョジン、イ・ウンソ)、銅1(パク・ハジュン、パン・ヒョジン)に可能性があると言っていたが、大韓体育会はメダル1個(金または銀・女子25メートルピストルのヤン・ジインなど)だけを挙げていた。卓球はメダルを取れないだろうとみられていた。競技力分析資料をきちんと参考にしていたのかという疑問が浮かんでくるほどだ。

 鎮川韓国代表選手村の張在根(チャン・ジェグン)村長は「五輪開幕100日前までは、アーチェリーやフェンシングなどに限った金メダル5個は客観的数値だった。五輪が近づくにつれ、選手たちの士気が上がって前向きな展望も浮かんだが、目標を上方修正して公言するには確信が不足していた」と説明した。結果的に、大韓体育会が総合的で綿密な分析をおろそかにしたまま、「責任回避」に重点を置いていたと指摘されている。秦鍾午議員は「メダルの見通しを完璧に正確にするのは難しいが、消極的な見通しに終始し、五輪に対する国民の関心が下がった。選手たちのスポンサー契約などにマイナスの影響を与える恐れもある」と語った。

張珉錫(チャン・ミンソク)記者

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