▲写真=UTOIMAGE

 ガールズグループ「NewJeans(ニュージーンズ)」のメンバーのハニが6月末、東京ドームで1980年代の日本の国民的歌謡「青い珊瑚(さんご)礁」を歌った動画は、今も再生回数を急速に伸ばしている。「NewJeansおじさん」と呼ばれるおじさんファンたちがりりしい声で大合唱するのが印象的だ。多くの動画のほとんどが、現場でスマートフォンにより撮影されたものだ。再生数が数百万回を超えたものも数え切れないほど多い。1カ月にもおよぶ反響が続いている。

 彼らと同世代の筆者は「鉄腕アトム」「未来少年コナン」「銀河鉄道999」を見て幼年期を過ごした。放課後のテレビアニメの視聴が「国のルール」だった時代だ。全てが日本のアニメだったということを後で知った。「主題歌を歌っていたのはキム・グクファンさんだったが、チョッパリ(日本をさげすむ言葉)のアニメだったとは」と激怒する子どもたちも見受けられた。このように「倭色」を侮蔑・軽蔑する社会的雰囲気の中で、どうやって地上波テレビが毎日のように日本のアニメを放映していたのか、幼心にも疑問だった。

 日本文化の味を味わった韓国の10代は、それぞれ「闇の経路」を開拓した。竜山電子商店街や明洞の中国大使館前の日本の本屋のような「日本文化の聖地」が地域ごとに存在した。日本のコンテンツに小遣いを費やしながらも、それを堂々と公表することはできなかった。ややもすると「親日派」「売国奴」と罵倒されがちだったからだ。陰でのみ消費されてきた日本文化の地位は1998年秋、突如として日の目を見るようになる。国際映画祭の受賞作である『影武者』『花火』『うなぎ』に続き『ラブレター』が劇場公開されたのだ。出版物、アニメーション、アルバム、ゲームも韓国に次々と上陸した。

 「これでいいのか」と思いたくなるほど、突然の変化だった。一部では、退廃的な倭色文化の氾濫、韓国文化の崩壊を懸念した。過去、日本が大衆文化の開放を巡り圧力を掛けてくるたびに、韓国政府が掲げてきた論理も同じようなものだった。ところが現実は正反対だった。ドラマ『冬のソナタ』が日本で空前のヒットを記録したことで「ヨン様」ブームが巻き起こり、日本に進出した歌手BoAは現地アルバムチャートや授賞式を席巻した。『宮廷女官チャングムの誓い』をはじめとする韓国ドラマや映画、Kポップ歌手たちの海外進出のニュースが相次いだ。韓流はこうして胎動した。

 故・金大中(キム・デジュン、DJ)元大統領は、韓日関係の改善に意欲的だった。1998年10月の訪日当時、明仁天皇に「天皇陛下」と言った。木浦商業高校時代の恩師との出会いでは「先生、私です。あの・だいちゅうです」と、創氏改名の暗黒歴史も自ら召喚してみせた。ハイライトは「21世紀の新しい韓日パートナーシップ共同宣言」、すなわち「金大中・小渕宣言」だった。政党を超え、今も「韓日関係の金字塔」と認められる政治的成果だ。その後続措置の第1号が日本大衆文化の開放だった。

 韓国国内で「日本と仲良くしよう」と言うには勇気が必要だ。反日感情に便乗するのがはるかに容易で、政治的にも大ウケする商売だ。日本の政治家たちが韓国に対して妄言を繰り返すのと同じ原理だ。歴代の韓国指導者の大半は、韓日関係の改善に消極的だった。これは保守陣営の大統領も例外ではなかった。故・金泳三(キム・ヨンサム)元大統領は記者会見で「日本の無礼を正してやる」と述べた。故・金大中・元大統領までがこうした風潮に同調していたら、韓国コンテンツの全盛期の到来は、はるかに遅れていたかもしれない。

 もちろん、故・金元大統領には大きな過ちがある。経済難に陥っていた金正日(キム・ジョンイル)政権が、太陽政策のおかげで起死回生を遂げた。結果的に三代世襲と核ミサイルの暴走、人権じゅうりんを支援するような形となった。これにも増す大誤算は「DJ精神」を受け継ぐとして、太陽政策だけを継承した盧武鉉(ノ・ムヒョン)、文在寅(ムン・ジェイン)政権だ。特に竹やり歌(東学農民革命をたたえる歌)を歌って「ノー・ジャパン」を扇動し、韓日関係を台無しにした人々とDJを比べることなど決して許されない。そんなDJでさえ、Kポップのガールズグループのメンバーになったベトナム系オーストラリア人の少女が「青い珊瑚礁」を歌い、日本の中年の40年前の郷愁を刺激する日がこうして訪れるようになるとは、予測できなかったことだろう。

李竜洙(イ・ヨンス)記者

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