社説
国を取り戻した光復節に繰り広げられたあっけにとられる光景【8月16日付社説】
今年の8・15光復節記念式典は韓国政府主催、そして独立功労者と遺族でつくる光復会主催の2つに分裂して執り行われた。解放から79年で今回のような分裂開催ははじめてだ。独立記念館長人事に「親日」と反発してきた光復会は政府主催の式典には参加せず、別途記念式典を開催した。光復会主催の式典には韓国野党・共に民主党執行部など野党関係者らが数多く出席し、「尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領退陣」などを訴えた。光復節はイデオロギーや政党とは関係なく国民統合と慶祝の場であるはずだが、突然の親日論争で国論が分裂する前代未聞の事態となった。
尹大統領は祝辞で「統一ドクトリン」を発表し「真の光復に向け突き進もう」と呼び掛けた。同じ時間に光復会の李鍾贊(イ・ジョンチャン)会長は「親日史観に染まった低劣な歴史認識が幅を利かせ、独立運動を侮辱し、建国節を揺るがす者たちが保守を名乗っている」と批判した。光復会主催の式典では出席者の一部が尹大統領に対し「辞任せよ」と要求し、「打倒、尹錫悦」と叫ぶ様子も見られた。光復節を祝うという本来の意味が失われ、政治的色彩が強い集会に変質してしまったのだ。
光復会は当初「政治家の出席は不可」と予告していたが、会場では野党執行部を来賓として最前列に座らせた。共に民主党は「精神的内鮮一体・尹錫悦政権の歴史クーデター」「光復節を親日復活節とした最悪の売国政権」などと政府を批判し「国民全体の抵抗運動を展開する」と予告した。祖国革新党の曺国(チョ・グク)代表は「尹大統領は朝鮮総督府第10代総督であり密偵の親分」などと非常に侮辱的とも言える発言を何度も繰り返した。
以前から李鍾贊会長は「建国節」の制定に向けた動きを問題視していたが、これに尹大統領は「制定する考えはない」と何度も説明した。すると光復会は「李承晩(イ・スンマン)=初代大統領=を建国大統領と言うなら親日派だ」と主張し始めた。上海臨時政府と大韓民国政府の初代大統領として「骨の髄まで反日」と言われた故・李承晩元大統領がなぜ親日と言えるのか。李鍾贊会長は独立記念館長に自らが推薦した人物が就任できなかったため、このような主張を始めたとの見方もある。
韓国大統領府と韓国政府も人事をめぐる問題を早期に決着できず、いつまでも引きずられ結果的に今回の事態を招いた。尹大統領は祝辞で今の野党勢力と左派陣営を念頭に「虚偽の扇動や似而非論理で国民を惑わし、自由社会の価値と秩序を破壊する反自由勢力と反統一勢力に振り回されてはならない」と訴えた。しかし相手を批判するのではなく統合のメッセージを出した方が良かったのではないか。
解放から80年近い歳月が流れたが、今も「親日」と呼ばれるフレームが幅をきかせる現状はあまりに嘆かわしい。文在寅(ムン・ジェイン)前政権当時の金元雄(キム・ウォンウン)光復会長は「大韓民国は反民族親日」と言い出して光復節を分裂させ、当時の文大統領はこれを後押しして拍手まで送った。その所属政党である共に民主党は今回も「親日」を持ち出して政府攻撃の材料としながら光復節を分裂させた。国を逆行させているのだ。
大韓民国は昨年1人当たりの国民所得が日本を上回り、今年上半期の輸出額も日本に迫った。製造業、映画、エンターテイメントなど多くの分野で日本に追いつき追い越した国になった。日本の側に立って国を売り渡し、国益を害する売国親日派など今大韓民国のどこにいるのか。今も存在するのはありもしない親日派への攻撃で政治的な利益を得ようとする勢力だけだ。