話題の一冊
朝鮮王朝の知識人にとって中華は文明の基準を語る観念だった
【新刊】裵祐晟(ペ・ウソン)著『中華、消えた文明の基準』(青い歴史刊)
「中華」とは、中国人が自国を誇らしく呼んだり、周辺国で中国を敬して呼んだりする言葉でもあり、世界文明の中心という大変な意味であると同時に、中国中心の世界観を指す言葉でもある。ソウル市立大学国史学科教授の著者は、中華を「高麗末から大韓帝国に至る韓半島の主流的思考方式」と推定した。中華と事大主義のどちらも、その時代を生きていた人々にとっては熾烈(しれつ)な悩みの産物だった、というのだ。
長らく「中華」は、中心と周辺を分かつ議題だった。高麗末に鄭道伝(チョン・ドジョン)などは、中華を明・正学・儒教・伝統、夷狄を異端・邪説・仏教の概念と共に使用した。中華は、朝鮮王朝が身に付けていくべき学びの内容だった。朝鮮王朝後期になると、それは漢族王朝であるかどうかを問いただすようになり、朝鮮は小中華でもあり得る、との意見が台頭した。その後、「中華」の意味には亀裂が生じた。洪景来の乱で見られたように、時には地域の文化的アイデンティティーを擁護する理屈となり、朝鮮王朝末期の崔益鉉(チェ・イクヒョン)に至っては「朝鮮が皇統を継承することもできる」とまで言った。長らく朝鮮王朝の知識人にとって文明の基準を語る観念だった「中華」は、20世紀初頭に至っても、近代韓国の談論の場において重要な位置を占めていたのだ。672ページ、3万7000ウォン(約4300円)
兪碩在(ユ・ソクチェ)記者