▲米国ワシントンの国際スパイ博物館で最近開かれた座談会において、ハ・ドンファン元国情院大邱支部長(写真左)と歴史学者のアンドルー・ハモンド博士(同右)がステージ上で着席している様子。/ワシントン=金隠仲特派員

 米国ワシントンにある国際スパイ博物館で最近、「韓国の防諜(ぼうちょう)活動についての内部者の観点」というテーマで座談会が開かれた。当日、博物館が国家情報院(韓国の情報機関。国情院)の協力を得てソウルから迎えた人物は、ハ・ドンファン元国情院大邱支部長(57)。ハさんは2年前に退職するまでおよそ30年間、韓国内外の防諜の第一線を行き来してスパイの検挙に専念した。地下革命組織(RO)、旺載山スパイ団など大規模な公安事件の実務を担当してきた対共捜査のベテランだ。ハさんは博物館所属の歴史学者、アンドルー・ハモンド博士と、およそ300人の聴衆の前で1時間にわたり対談した。

 ハさんには20近くの質問が降り注いだ。「活動中、命を脅かされたことはあったか」という質問に対してハさんは「逃げるために米国陸上の伝説、カール・ルイスよりも早く走ったことがある」と答えた。国情院に入ることになった契機を尋ねる質問に、ハさんは「成績が良くなくて、大企業に入れなかったから」と答え、爆笑を誘った。金正日(キム・ジョンイル)総書記の指示で派遣された暗殺チームが北朝鮮最高位クラスの亡命者・李韓永(イ・ハンヨン)さんを暗殺した1997年の事件を説明する際には、皆が息をのんで耳を傾けた。このほかにも、ハさんには「韓国国内にスパイは何人いるのか」「本物の北朝鮮離脱住民とスパイを見分ける方法は何か」などの質問が殺到した。ハさんは「これ以上細かく語ったら後輩たちが私を放っておかないだろう」と言うほどに熱気に満ちていた。

 スパイ博物館は2002年に設立され、全世界で最も多い、およそ1万点に上るスパイ関連の展示物を保有している。4年前にはギネスブックに載り、昨年はおよそ69万人が訪れた、ワシントンの名所だ。博物館は今年5月、北朝鮮の暗殺犯・対南工作員などが実際に使用していた「毒針ペン」などの装備7点を展示した。それからわずか2カ月で同博物館がハさんと交渉したのは、「韓国スパイ物」に対する需要が大きくなっているからだ。博物館関係者は、本紙の取材に対し「平日の夕方にこれほど多くの人が集まるとは思わなかった」としつつ「南北は70年以上も対峙(たいじ)していて諜報戦は現在進行形だという事実が、人々の関心を刺激したらしい」と語った。

 ハさんは「北朝鮮のスパイ活動は、反体制派の人物を暗殺したり、韓国の政治・社会・経済の各分野でスパイ組織を結成し、絶えず世論を操作して国論を分裂させたりするというやり方で行われる」「多くの人が、南は親北イデオロギーを拡散させにくい社会だと思っているが、スパイたちは巨額の工作資金を受け取っている。水面下では多くのことが実際に起きている」と語った。講演の最後にハさんは「この仕事をしていて、米国政府の支援と協力に常にありがたく思っていた」と語った。その上でハさんが「6・25参戦勇士の父に、米国に行くことを話すと『70年前に私たちを助けてくれてありがとうという言葉をぜひ伝えてほしい』と言っていた」と述べ、腰を90度折り曲げてあいさつすると、スタンディングオベーションが起きた。

 ハさんはこの日の講演後、本紙の取材に応じ、文在寅(ムン・ジェイン)政権時代に当時の進歩(革新)系与党「共に民主党」主導で法改正が行われ、今年1月から対共捜査権が国情院から警察に移管されたことを指摘した。ハさんは「私は、中ではスパイを捕まえる一流捜査官だったかもしれないが、組織の外では世間の物情を知らない頭の悪い人間だった」とし「スパイの捜査権が政争の対象になるだろうとは夢にも思わなかった。初恋の相手が安楽死したような気分」と語った。

 ハさんは「60年以上も蓄積してきたスパイ捜査のノウハウを一晩でさっと渡してやることは不可能で、警察も望んでいたわけではない」とし「巨額の予算と時間が必要」と語った。「実家」といえる国情院についても「スパイを一生懸命捕まえるだけで、国民にこのことを伝えるのは不十分だった」「スパイの存在は国情院も、スパイも、北朝鮮もみんな知っているのに韓国国民だけがよく知らないという状況が『まさか今の世にスパイがいるなんて』という安易な意識につながった」と苦言を呈し「早くも今年から、スパイ検挙のニュースが聞こえてこないという」「捜査の空白を埋めるため、米国の連邦捜査局(FBI)のように政治の風に揺るがない独立官庁が捜査を専担するのがよい」と語った。

ワシントン=金隠仲(キム・ウンジュン)特派員

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