ソウル市が7月17日に発表した「慶熙宮址(し)一帯総合空間構想」には、ソウルの四大門の中で唯一復元されていない西大門(敦義門)を復元する計画も盛り込まれた。

 敦義門は、朝鮮王朝時代の世宗4年(1422年)、今の鍾路区貞洞交差点に作られた。1915年に日帝が、路面電車の軌道を複線化する際に門を撤去した。四大門は、崇礼門(南)、興仁之門(東)、粛靖門(北)が保存・復元されたが、敦義門だけは復元されなかった。

 ソウル市は2009年にも敦義門復元を推進したが、復元位置が都心の交差点なので、交通渋滞などの問題が足を引っ張った。今回の構想には、その解決策として、鍾路区新門内路の一部区間を地下道化し、その上に敦義門を復元するという計画が盛り込まれた。復元位置の貞洞交差点は周辺よりやや高い丘になっており、まずその下に地下道を通して交通問題を解決するという。ソウル市では、往復8車線の新門内路について、ソウル歴史博物館-江北サムスン病院間の400メートルの区間を地下道化する案を検討している。ソウル市の関係者は「貞洞交差点付近のビルを行き来する車が不便にならないように設計する」としつつ「敦義門が復元されたら、周辺の商圏はさらに活性化するものと予想される」と語った。

 またソウル市は、敦義門周辺に公園を造成して慶熙宮と連結する計画だ。敦義門とつながる漢陽都城も共に復元する。

 ソウル市は、敦義門復元事業は2035年までの中長期課題として推進する、と明かした。

 昨年に敦義門復元基本構想を整備したが、市民の意見を集約して細部計画を追加発表することを目指している。

 ただ、基礎部分しか残っていない敦義門をどこまできちんと復元できるかは疑問、という指摘もある。これについてソウル市は、1939年に発行されたソウルの地図「大京城精図」などを参考として、できる限り徹底した考証作業を行うと明かした。ソウル市の関係者は「写真に写っている敦義門の石の個数まで数えるなど、細かな考証を行っている」とし「歴史学者、都市・交通の専門家などの助言を聞いている」と語った。

パク・チンソン記者

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