▲朴垠柱(パク・ウンジュ)記者

 米メリーランド大学病院の心臓移植専門医師が発明家のトーマス・クレメント(71)と食事をした。人間に豚の心臓を移植した後の薬物投与の方法について意見を交わしていた時のことだった。ストローで飲み物を飲んでいたトーマスが言った。「ストローで飲み物を吸うように、空気で心臓弁膜を持ち上げて注射剤を入れるのはどうか」。先日、同病院はこの機具で米国医療機発明大会に出場し、見事1等を受賞した。トーマスは60個以上の技術特許保有者で、医療機会社をグローバル企業に売却。大金を手にした。ゼネラル・エレクトリック(GE)の技術者だった養父は、トーマスを養子として受け入れたことについて「生涯最高の選択」と言った。米軍と韓国人女性の間に生まれて捨てられたトーマスは、5歳の時に養子縁組で渡米した。先日訪韓したトーマスが「養子縁組で渡米後、韓国に戻ってきた人々の生活は非常に厳しい」と語った。トーマスは大金を寄付したものの、それでは力不足だった。こうした内容を『養子縁組で海外に出された子どもたちが中年になって戻ってくる』(7日付)という記事で書いた。

 海外への養子縁組後に韓国へ帰国した人々の生活事情は千差万別だった。オランダから戻ってきたシモナさんは少女でありながら家計に責任を持たなければならない立場に立ったため、まるで女性戦士のように暮らしている。市民団体を立ち上げ、海外への養子縁組から戻ってきた子どもたちにフードボックスを送ったり、家をリモデリングしたり、家賃を代わりに支払ったりしている。同国出身のチャンウさんは、職がなく、今日食べていくことさえ困難な状況だ。二人とも決して楽な人生ではないが、それでも韓国に住んだ方がいいという。

 ある専門家が次のような話をした。「国連の採決があった時だった。北朝鮮寄りの欧州諸国に対し、韓国に票を入れなければ養子を送らないと脅して票を獲得した」という。非常に貧しかった1950年代ではなく、80年代、出生児の1%に相当する8000人以上の子どもを養子として海外に送った。韓国は養子を「外交武器」としても使用したのだ。韓国はいまだに子どもたちを海外に送っている。

 活動家たちはこれを巡り「乳児売買」「人身拉致」と呼ぶ。「故・李承晩(イ・スンマン)大統領が『父の国へ』というスローガンを掲げて混血児を海外に送ったのは何を隠そう民族浄化だった」「韓国政府は1人当たり3000-3万ドル(約47万-470万円)で子どもを売り渡した」

 同意したくない。「頭の黒い動物は収穫しない」として韓国国内への養子縁組は受け入れない国だった。「米国では乞食もハンバーガーを食べる」「英語だけでもうまくしゃべれるように養子縁組は海外がいい」といった冗談まで飛び交う国だった。「海外養子縁組の幻想」は社会的地位の高低にかかわらず、全ての人に起こり得た国だった。

 過去に対する診断は異なるが、解決策は似ているかもしれない。移民は意志だったが、養子縁組はそうではなかった。それでも養子で海外に出た子どもが韓国に戻ってくれば「在外同胞ビザ(F4)」が発給される。韓国では家計がどんなに苦しくても政府や地方自治体の「支援金」を受け取ることができない。青年住宅や文化バウチャーなどといったものは夢のまた夢だ。「国民」ではないからだ。学歴が低かったり、韓国語を話せなかったりする人が多く、合法的な就職は難しい。こうした人々が数百人、現在韓国に住んでいる。

 もちろん「国籍取得」の過程を踏むこともできる。しかし、欧州や米国出身の養子が「最後の保険」とも言うべき養子先の国の国籍を放棄するということが条件となる。養子に出された子どもが韓国に戻ってくる場合は、特別な「ルート」を開くべきだ。脱北者や高麗人(中国同胞)の子孫に比べて「養子」が冷遇される理由は何もない。彼らを「養子縁組システムの被害者」として残してはならないのだ。

 シモナがこう反論した。「私は被害者(victim)ではない。過去を批判しようというのではない。より良い未来のために現在を修正することができるという話だ。養子はその国の言語に堪能で、人的、社会的ネットワークを持っている。韓国がわれわれを市民として認め、就職支援を行い、活用しないのはおかしい。韓国は超少子化国家であることを非常に懸念しているではないか。なぜ、われわれのことが見えないのか」。彼女から学ばされることは多かった。

朴垠柱(パク・ウンジュ)記者

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